第一章 転生養女エリーゼ
転生養女の引っ越し
馬車はアンハルト侯爵領を出て帝国首都シュルナウへと急ぐ。
窓の外を流れる、オークの冬木立にため息を一つ。
憂鬱な天気は、エリーゼの胸中によく似ていた。もうすぐ新年だが、気持ちは全く前向きにはならない。過去の自分と照らし合わせてみて、また代わり映えしない灰色の一年だろうと予想している。
「エリーゼ、もう明日にはシュルナウの屋敷に着くけれど、今日はまた宿に泊まる事になるわ。準備をなさい」
養母のアンハルト侯爵夫人がエリーゼにおずおずと話しかけた。本人は不安そうなそぶりを見せたつもりはないのだろうが。
エリーゼはそれを感じ取り、陰気に視線を下げたまま、窓の方にもたれかかっていた体を、侯爵夫人の方にまっすぐに座り直した。
侯爵夫人はほっとしたように、安堵の笑みを見せた。
「エリザベート、シュルナウは海沿いの気候で寒いだろうから、一枚着たしたほうがいいかもね」
「はい」
エリザベートと呼ばれたエリーゼは、従順に返事をして、馬車の中のハンガーに無造作に引っ掛けていたポンチョを手に取り、肩からかけた。
侯爵夫人も、その隣に座るアンハルト侯爵も満足そうに笑っている。
エリーゼは笑わなかった。何も笑うようなことがないからだ。
侯爵夫妻は、それでも、エリーゼを良い子だと思っていたし、そう思いたかった。半年前に戦友だったハルデンベルグ伯爵家から引き取ったこの少女は、とにかく大人しく、とても勉強家で、性質は秘めやかなぐらい従順で静かなのだ。滅多なことでは自分から口を開かず、声をかけなければ侯爵邸で自分に与えられた部屋から出ることもしない。何をしているかといえば、黙って本を読んでいるか書物をしているらしい。
養父母であるアンハルト侯爵の間には、長年子供がおらず、しかるべき事情があって、伯爵家から引き取った一人娘を、どう扱っていいかわからなかった。
エリーゼは十五歳で、帝国では結婚していいぐらいまで育ってから、故あって引き取られる事になったのだ。
反抗的な態度は一切なく、問題行動を取ることもなかったが、その大人しさと笑顔のない性格は、侯爵夫妻にわずかな窮屈さを与えていた。
そのことについて、侯爵夫人ゲルトルートは、逆に考えていた。引き取られて半年のエリーゼは、自分たちとの生活に窮屈さを感じているのではないだろうか。
だから笑わないのではないのだろうか。もうそろそろ初老の年齢の自分たちは、エリーゼに対して、十分に気を配っているとは言い難いのではないだろうか……などなど。
それで、馬車の中でもゲルトルートは、ちょっとしたきっかけを見つけては、黙り込んでいるエリーゼに話しかけ、せっせと会話を続けようとするのだが、そのほとんどは、「はい」」いいえ」「あ……はい」という短い単語で切りかえされて、全く実らぬ努力であった。
かといって、エリーゼはなにかに腹を立てている様子もなく、不思議なほど静かな態度で、馬車に座り込み、何か考えているようだった。
何を考えているのか、ゲルトルートとその夫である侯爵、ハインツは聞いてみたかったのだが、それはできなかった。
それを聞いたら、エリーゼと自分たちの間にある、あるかなきかの親子の絆が、一瞬にして雲散霧消してしまいそうな、そんな緊張感があった。
それは無理もないことだった。
エリーゼは戦友だった騎士、ハルデンブルグ伯爵と同じく騎士であったその妻の間の一粒種なのである。
そして、ハルデンブルグ伯爵夫妻は、半年前−−魔大戦で、魔王との最終決戦で、英雄たちへの活路を切り開き、討ち死にしているのである。
討ち死に。
死亡。
英雄により、魔族たちに蹂躙された神聖バハムート帝国は復活し、勝利の栄光に輝いたが、その決戦において、エリザベート・ルイーズ・フォン・ハルデンベルグの両親は命を落とし、彼女は孤児となった。
それを不憫に思った、故伯爵の親友夫妻が、よかったらとエリーゼを引き取ったというわけだ。
魔族との戦争で両親をなくして、新しい環境に来て半年。何かに付けて部屋に引きこもって黙りこくって半年。
そろそろエリーゼの気持ちの踏ん切りがついてもいいころだが、……というわけで、帝都の王城で開かれるパーティに彼女を連れて行くところなのだ。若い娘だ。英雄も大勢参加する無礼講のパーティならば、笑顔を見せてくれるかもしれない。
そんなあえかな期待があった。
ちなみに、エリーゼにとっては、そんなことはどうでもよかった。彼女は全く別の事を考えていた。彼女は、早く家に帰りたかった。無意識に家を探していた。それはハルデンベルグ伯爵領のかつての家ではない。彼女の家はもっとずっと遠い、ありえないぐらい遠いところにある。
どれぐらい遠いかというと、このセターレフという星から観測できるかどうかわからないぐらい遠い、地球という星にある。
その名も日本という国に、エリーゼの故郷はあるのだ。エリーゼは現代日本に帰りたかったのだ。
エリザベート・ルイーズ・フォン・アンハルト。通称エリーゼ。
彼女の前世の名前は、友原のゆり。現代日本から異世界への転生者なのであった。
その日。帝都郊外の宿屋に泊まった時も、エリーゼは前世の夢を見た。泣いた。夢を見ながら泣いた。もう二度と届かない、日本の風景を文字通り夢に見て、泣いていた。--もう16年以上昔の事なのに。
●
友原のゆり事、エリーゼが転生した星、セターレフには大きく分けて二つの大陸がある。
西側と呼ばれるベネディクタ・テラ大陸。略してテラ大陸、あるいは単にテラと呼ばれる。
東側と呼ばれるシャン・リーミン大陸。こちらも、シャン大陸と呼ばれる事が多い。
エリーゼの住む神聖バハムート帝国は、テラ大陸の東側の大半を占める巨大な国家で、何百年もの歴史を誇っている。エリーゼが地方の貴族学院で勉強してきた限りでは、その歴史の始まりは二千年以上前ということになるようだ。古代の国家の始まりについては、伝説と言っていいほどの伝承に頼るようだが……。
その神聖バハムート帝国の首都シュルナウでは、毎年、正月の三が日に盛大な新年パーティを行う。
子爵以上の貴族なら誰でも招待状をもらう事になっており、三日間連続で無礼講の祝賀となるのだ。
それが、特に、今年は魔大戦の勝利を祝い、シュルナウや近郊の庶民も参加してよいこととなり、特別に五日間まで新年パーティの日を取る事になっていた。
侯爵とはいえ、アンハルト家は帝国のはるか南西にある、ナタール湖にほど近いデレリンにある。帝都シュルナウへは街道を馬車で飛ばして一週間ほどで着くだろうか。例年は遠方であることを理由に、新年パーティには参加しなかったアンハルト侯爵だったが、今年は、戦勝祝いを兼ねてのパーティだと言うことで、養女エリーゼを伴っての参加となった。
エリーゼはそのままシュルナウに滞在し、帝都にだけある帝国学院に春から入学することになっている。
養父ハインツは、数年ぶりの帝都見物を楽しんだ後、二月前にはデレリンに帰る事にしていた。養母ゲルトルートの方は、エリーゼの事を心配しており、彼女が帝都の生活に慣れるまでは一緒に、シュルナウにあるアンハルトの屋敷に滞在する予定になっていた。
帝都シュルナウはゲルトルートの言った通り、東は海に面しており、中央をストルラクスタ川が真西から横切り、その西と南西、北へと大きな街道がつながっていて、昔から海と川と街道をフルに運用して富み栄えてきた、本当の意味での国の「中央」である。
その中央は交通の要衝であると同時に教育・文化の要衝であるらしく、王立学院には貴族の中でも選ばれた優秀な子女が通学し、そこで学問と人間関係を学び、やがては国の人材となる事を期待されていた。
エリーゼは国の求める人材になることや、人材の母になることには何の興味もなかったが、ゲルトルートが女の子を淑女に育てるにはなんと言っても帝国学院! とハインツに提案して譲らなかったので、反抗するのもかったるくて、黙ってついてきたのだった。この半年で、エリーゼは、接触は控えめにしていたが、この子どもに恵まれなかった養母が、どうも女の子に夢を持っていたらしく、エリーゼをおしとやかで可憐な淑女に育て上げたいという願望をほぼ丸出しにしているのを、これまたかったるい思いで眺めていた。
自分がおしとやかで愛くるしいお姫様……?
現代日本であんな死に方をした自分が??
馬車に揺られながら、夕べも、自分が死ぬときの夢を見た事を思い出していた。ガス自殺は、本当に苦しかった。
だが、ゲルトルートはエリーゼが転生者である事を知る訳がなく、エリーゼが黙りがちで落ち込んでいるのは、両親の戦死が辛かったのだろうと決めてかかり(まあそれも嘘ではない)、帝都の新年パーティの果てしない盛り上がりを見れば、少しは気分も晴れるだろうと「思いたがって」いるようだった。
ハインツもそれには全く反対しなかった。ハインツは三年に一度は新年パーティには顔を出すようにしていて、帝都に友人も多かった。何か難しい事があったら遠慮なくその人たちを頼りなさい、とエリーゼに言い聞かせていた。
そんなこんなで、12/27。
アンハルト侯爵親子は、シュルナウにある別邸に到着した。
すでに連絡を受けていた使用人たちが屋敷からすぐに出てきて、馬車の荷物を受け取り、主人たちを暖かく出迎えた。
初めて見る養女のエリザベートに、恐縮しきった様子だった。
エリーゼは簡単な自己紹介をして、出迎えてくれた事に礼を言った。
「これから……お世話になります」
軽く頭を下げる。
その後は、ゲルトルートに疲れたと言い残して、案内された自分の部屋に閉じこもり、そのまま食事も取らずに寝てしまった。実際、本当に疲れていたらしく、ベッドに入ると秒で眠りに落ちてしまった。
眠り--また、繰り返し、夢を見る。
一家心中の夢。優しかった両親がつるし上げを受ける光景。
大好きだった兄、甘やかしてくれた姉。その二人の絶望と悲憤の表情と、それを嘲るネットの群衆。
嫌になるほど繰り返される、残酷な光景を、早送りの映画のように夢で見て、同じ傷口をなぞり続けた。
翌朝、目が覚めれば、涙が目尻にこびりついていた。
どんな顔になっているかわからないから、慌てて洗顔をする。
エリーゼの部屋は、彼女専用の浴室とサニタリー、洗面所。それに寝室と客間を兼ね備えた大きな勉強部屋が着いていた。それと寝室の隣にウォーキングクローゼット、そこにはすでに夫妻が手配した服が詰まっているらしい。
その部屋それぞれが、ゲルトルートの趣味なのか、エレガントな花柄の壁と、実際に品のよい大きな花瓶いっぱいに活けられた冬の花で彩られていた。
エリーゼは、自分が大事にされているらしいことは、その部屋の様子で理解している。だが、どうしても、気分は浮かなかった。
普段着に着替えをした後、エリーゼは、さすがに空腹に気がついた。
食事がほしければ、使用人を呼べばいいのか、それとも、階下にあるらしい食堂に行けばいいのか、わからない。
デレリンの屋敷では、週に一回、土曜の晩餐だけ養父母と一緒に食事をし、それ以外は、三食部屋に持ってきてもらっていたのだ。
(どうしよう……。知らない執事と話をするのは、おっくうだな……)
そんなことを考えて、戸惑っていると、部屋のドアがノックされた。
「エリーゼや、私よ。開けてちょうだい」
ゲルトルートであるらしい。
渡りに船と、エリーゼはドアを開け、ゲルトルートを部屋の中に招き入れた。
ゲルトルートはメイドに、大きなスーツケースを持たせていた。
「? おかあさま、どうしたんですか。そのケース……」
「エリーゼ、新年のパーティに着るドレスを選びましょう。とびきり美しい装いをしてパーティに参加するのは、義務だからね。エリーゼに似合いそうな服を、たくさん用意しておくように、頼んでおいていたの」
「え……」
エリーゼはヒいてしまった。
だが、にこにこしている母親と、同じくにこにこしている、いかにもファッションなどが趣味の様子のメイド二人を前にすると、多勢に無勢という気もして、任せる事にした。
(喧嘩するのもうっとうしいし……朝からそんな、やる気出ないもんね)
そういうわけで、エリーゼはゲルトルートとメイドに手伝ってもらいながら、数着のドレスを着てみた。どのドレスも、今、シュルナウで流行の色とデザインのものであるらしい。エリーゼはそういうことにはまるで興味がないので、わからないし、どうでもよかった。
「ほら、鏡で見てみなさい。エリーゼ。あなたはとても可愛らしいわよ」
真っ白なドレスを着せられたエリーゼは、その細身がかえって目立つボリュームたっぷりのレースに気後れしながら、部屋の片隅の姿見の方にいってみた。そこには、小柄で細身の、小動物を思わせる少女がたっていた。
銀髪にライムグリーンの瞳、透き通るように色白の肌。
涼しげな銀色の長髪は両耳の下で二つの長い三つ編みにして束ねている。
鮮やかな緑色の瞳は、髪の毛と同じ銀縁の眼鏡に隔てられ、知性を感じさせた。
目の下の頬がわずかにピンクがかっているほかは、肌の色素は薄く、色白と言うよりも青白いと言った方が通りが早いかもしれない。いつも部屋の中から出てこないせいだろう。
そのせいか、その小柄な少女は、生気のない人形の幽霊を思わせた。……侯爵夫妻はかわいいと褒めてくれるけど。あとメイドも。
「ちょっと髪の毛を下ろしたら?」
ゲルトルートのすすめで、エリーゼは三つ編みをほどいてふんわりと肩の上に流してみた。
すると、驚くほど印象が変わって、大人っぽいイメージになった。メイドは喜びを隠さない表情で、エリーゼの髪の毛をとかし始めた。
「お美しい髪でいらっしゃいますね。パーティの日には、思い切って髪の毛をアップにして、結わえてはどうでしょう。私、髪を結うの得意なんですよ。色々な髪型を調べておきますわ」
「そうなの、そうしてくださる? 全くこの子ったら、年頃の娘なのに、そういうことには全然興味がなくって……あなた、得意なのね?」
ゲルトルートはパウラと名乗るそのメイドと、そんなことを言ってはしゃぎ始めた。
エリーゼには何が楽しいのかわからないが、二人とも、無表情のエリーゼをまたドレスを着せ替えさせ、今度は黒いセクシーさも併せ持つドレスを着せて、次々とアクセサリーなどで飾り付け始めた。
エリーゼは無言で、二人の好きなようにさせていた。
エリーゼを着せ替え人形にする遊びは、エリーゼの腹が盛大な音を立ててなり、空腹を訴えるまで続いた。
小説家になろう、アルファポリスに投稿していた同じ作品に、手入れをしたものです。 これからゆっくり、少しずつ手を入れながら書いてあげていきます。 細く長く、よろしくお願いします。