ないとなう! とは(12)私利私欲
そういうわけで、アスラン達は、西部に移動して早々に、ビンデバルド本家のボンクラとしか言いようのない振る舞いを知る事となったのであった。ボンクラと言うのが違うのなら、ただの田舎の愚か者ということになる。
と、言うのも、その日のうちの茶屋の主人や客の話から、ライヒでは三年ほど前に、健康な大人でもバタバタ死ぬような熱病が流行ったのは本当の事だったとわかったのだった。ライヒの風土病のようなものであるらしく、何十年かに一度、必ず大流行する事が歴史上の記録でわかっている。
その熱病が流行った時も、ビンデバルドの本家は、自分たちの自衛はしたようだが、ライヒの市民に対してはろくな対策も示さず、市民が泣きついても動きもしないで後手後手に回っていたらしい。どう考えても、本当に、民を、苦しい熱病から守ってやろうというつもりはなかったようなのだ。その後、熱病の流行がおさまると、様々な社会問題が提示されたが、その事についてもほとんど手つかず。金と地位には目がないが、既得権益をむさぼるばかりで、税金を上げたり上げるそぶりで脅したりと、その繰り返しばかりしているらしい。
そんなところに、ライヒ騎士団もいるのに、オアシスの魔王軍討伐で、シュルナウから正規軍がやってきた。
ライヒの市民の反応はというと、半信半疑の表情で、固唾を飲んで正規軍の方を見つめているというのが正しいようだった。
正規軍の働きを頭から信じている様子は、見られない。恐れてはいるようだが、好意的に迎えているとは言いがたい。
「仕事がしやすいって感じはしないな……」
市民の表情、反応を見た後、宿舎に帰ると、フォンゼルはまずそう言った。
同室を与えられたアスランは、大して気にもとめなかった。
「俺たちの仕事は人気取りじゃない。真面目に仕事をすれば、そんなものは後からついてくる。そんなことより、魔王軍だ」
アスランは、軽く準備運動で、腹筋などのトレーニングをしながらそう答えた。
宿舎に備え付けの簡易な机に向かいながら、フォンゼルも黒魔法の必携を広げる。アスランがそういう態度を取ると、彼はどうしても釣られて勉強をし始める傾向があった。
黒魔法の必携書で、赤線を自前で引いた辺りを拾い読みしながら、フォンゼルは答えた。
「魔王軍の情報は、地元のライヒ騎士団の方が知っているだろう。すぐにも知るべき事はおさえたいな」
「ああ、そうだな」
魔王軍の話が、翌朝までに、遅くても翌朝の朝食前には届くだろうと思っていたミュラー部隊。
だがそれがいかに甘い予想だったかは、速攻で思い知らされる事になる。
アスランは、ファビアン将軍が、ビンデバルド本家に挨拶をするだろう事ぐらいは考えていたが、挨拶に行ったっきり、半日帰ってこなかったなどという事実については、全く予想もしなかったのである。
ファビアンが、ビンデバルド本家に挨拶するにしても、そこそこにすませて、地元のライヒ騎士団の方に素早く回りこんで友好的態度を取り、連携を取って、情報を共有し、一緒に魔王軍を叩く算段を立てるに違いないと思い込んでいたのである。
だが、ファビアン将軍--若く弁舌爽やかで、顔立ちのいい彼が回り込んだのはビンデバルド本家のシュテファニー、もしくは先代の女王ユスティーナのいずれかであった。
結果から言おう。
彼は、ビンデバルド宗家の推挙で将軍の座を得た。
それで、ビンデバルド本家から、「嫁が欲しかった」のである…………。
ビンデバルド本家の方に初っぱなから居着いて、いい顔をしてシュテファニーのご機嫌伺いを続けた所、シュテファニーやユスティーナ達も、帝都貴族の若者のおべんちゃらは嬉しかったらしく、ビンデバルドのお嬢様やその侍女達を連れてきて、彼を歓待させた。
連日歓待させた。その中のどの姫を選んでもいいのだというそぶりを見せてからかった。勿論、早速、ファビアンが身を乗り出したりするともったいつけて姫を引っ込めさせてしまう。そしてファビアンががっかりしていると他の姫達に慰めさせたり、自分でからかってみたり。そういうゲームにはまりこんでしまったのであった。
いつまで経っても、ファビアンが、将軍としての仕事をしない。それどころか、ビンデバルド本家で、女と宴会をしているらしい。そういう情報は、たちまち、部隊長達にも広まった。
ぽかんとなったのはアスラン達である。
俺たちは一体、何をしに、遠い西部のライヒまで来たのか、訳がわからない。
このときは、ビンデバルドの本家、それもできるだけ、西部の女王シュテファニーに近い血筋の姫が欲しくて仕方ないのだとは知らなかったアスラン達。
最初のうちは、ビンデバルド本家との間に、何か「作戦」でもあるのではないかと勘ぐって、大人しくしていたのだった。
あるいは、ビンデバルド本家が、正規軍にいい顔をせず、ゴネているのではないかと想った部隊長もいたらしい。
だが、それが三日も四日も続けば、どうしたって、ライヒ騎士団の方が変な顔をしていることに、気づくだろう。
ある晩遅く、酒気をまとって宿舎に帰ってきたファビアン将軍に、レオニーがアスラン達を伴って近づいていった。将軍に話しかけていい階級としてはぎりぎりである。
ぎりぎり、軍紀違反にはならない。空気を読めているかどうかはわからないが。
「将軍、夜分恐れ入りますが、ライヒ騎士団の方から打診がありました」
フェイクこみの話題を作って、レオニーは、ファビアンがなんのつもりでライヒ騎士団や自分たちを無視するのか聞き出そうとした。
実際に、ライヒ騎士団の方から、その日、非常に上品な「ごきげんよう」があったのである。そういう場合は、将軍の次官が動くものだが……というか、実際に動いて、適当にいなしてくれたのだが、その話が全体に伝わりつつあり、このままでは正規軍の士気に関わる。それでレオニーは、思い切って、将軍の腹を探るような事をし始めたのだった。
「ライヒ騎士団などどうでもいい」
酔っ払っていたファビアンは、酒臭い息を吐き散らかせながら、レオニーに言った。
「いつまで本家に入り浸る気かと聞いたな、女! 下士官の分際で、俺の行動を問いただす気か!」
レオニーは精一杯、謙虚で優しい言い方をしていたのだが、それが逆にファビアンの神経を逆撫でたらしかった。
部隊長であるレオニーは下士官とは呼べないはずなのだが……。
「ビンデバルド本家には明日も向かう。姫達を待たせる訳にはいかない!」
「……は?」
ファビアンが全く思ってもみなかったことを言い出したので、不意を突かれたレオニーは本音が出そうになってしまった。
途端にファビアンはいきり立った。
「剣を振り回して攻撃魔法をぶっ放して、お前はそれでも女なのか! しとやかで美しく、血筋も良い本家の姫達とは大違いだ。同じ女とも思えないわ! それだからお前はろくに婿取りも出来ないんだ。どうせ、ここにいる騎士の誰かを狙って従軍してきているのだろう! だったらそれらしく、男のベッドに……」
「将軍!」
彼の後ろに控えていた部下の一人が鋭い声をあげた。さすがにそれ以上は言っていいことのわけがない。
レオニーは挙動不審に思われないように気をつけながら、それでも青ざめた顔色で、冷静な声で今度こそ問いただした。
「将軍。何故に明日も、ビンデバルド本家に向かうのですか。どういうおつもりなのか、お聞かせください」
酒で赤らんだ目でレオニーをにらみつけながら、ファビアンは低い、それでも獰猛な声で言った。
「俺が欲しいのは本家の姫だけだ。俺はそのために、ライヒに来たのだ」
「……」
絶句したのはその場にいた全員だった。まさかそんなつもりの男を将軍様とトップにかついで、ここまで従軍してきたなどと、誰も考えつきもしなかったのである。だが、裏を返せば、帝国貴族の中で、ビンデバルド一族の発言力がいかほどなのかわかろうというものだ。
確かに、ライヒの本家の姫をめとれば、ファビアンの人生は保障される。ビンデバルドの七光りで、死ぬまで役職も生活も安泰なのだ。--ファビアン個人は。だが、それについてきた他の部下、ミュラー部隊達はどうしたらいい。
ぽかんとしたいのは、彼の周りの部下達も同じだっただろうが、酔っ払っているファビアンを窘め、よろめいた彼の肩を支えて、レオニー達には何も声をかけず、そのまま彼を宿舎の奥に連れて行った。
その後ろ頭を見て、アスランが拳を握りしめる。
「殴ってきていいか?」
「「「ダメ」」」
レオニーだけではなく、そこにいたリュウとフォンゼルも声をそろえてそう言った。
こんな場合でも、騎士が殴ってはいけないのが、将軍なのである。全くのところ。