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第一章 転生養女エリーゼ

美夜館シェーンナハト

帝都シュルナウの東にある旧市街アルトスタット、そのほぼ中心にあるのが、現在アスランの住んでいるジグマリンゲン邸である。


 神聖バハムート北方において王者とも呼ばれるジグマリンゲン一族。その宗家の次男がアスランであることは、意外に知らない者も多い。シュルナウでは、貴族でも、アスランが長男で次期当主だと思い込み、いい意味でも悪い意味でも接触を持ちたがるのだ。

 アスランの方は、相手が完全に勘違いしていた場合は訂正するようにしている。

 ジグマリンゲンの宗家の長男として生まれ、嫡子となったのは、彼の兄レナートスである。


 ジグマリンゲン邸は、シュルナウでは珍しい黒煉瓦作りの巨大な館で、外装にも北方の軍神の紋章を彫り上げた壮麗な美観を誇っている。

 敷地は旧市街アルトスタットの中でも一、二を争う広さで、中心となる屋敷の他にいくつかの家屋が連なっている。

 だが、勿論、その日アスランが、帝城から直帰したのは、城門からまっすぐ突っ切った先の、黒煉瓦の館……通称美夜館シェーンナハトであった。

 美しい夜の名にふさわしい、黒く輝くような城館の中に、正面玄関から入っていくアスランを出迎えたのは、執事のハンス・ホフマンであった。既に白髪の目立つ年齢の彼は、礼儀正しく平常心を感じさせる仕草で、主人を出迎えた。


「戻った。--報告は来ているか?」

 玄関ホールで厚手のコートを脱ぐのもそこそこに、アスランが老執事に尋ねる。

「は、犯罪者の縁者を頼りましたが、まだ報告ははかばかしくありません。夜半には、隊長が戻るはずですが、今、お呼びになりますか?」

「まだ、ない?」

 アスランは秀麗な眉をひそめた。

 ホフマンは頷きながら、アスランがコートを脱ぐの背後に回って手伝った。

 ジグマリンゲン一族にも、忍びの技を巧みとする者はいる。

 アスランは、帝城で襲撃を受けた直後に、その諜者達を全員動かしていた。

 北方から連れてきた諜者達は、皆、次男の彼に忠誠を使っている者達ばかりであるから忠実によく動く。にも関わらず、この時間になっても自分を毒殺しようとした首魁をあげられない……。


 厨房長が現在、警察機構も兼ねる弾正台の人間に、取り調べを受けている段階だ。

 英雄暗殺の取り調べや捜査に、手抜きがあるわけがないが、任せきりにする訳もない。 厨房長は弾正台で色々な意味で厳重に扱われているだろう。--その様子も、逐一、美夜館シェーンナハト、もしくはアスラン本人に把握出来るようにしておいたのだが。


「ビンデバルドの動きは把握出来ているか?」

 コートを受け取るホフマンに、抑えた低めの声でアスランは問いかけた。城館の中には厳選された味方しかいないはずだが、もしもということがある。


「つかめません」

 ホフマンの方を振り返ると、彼は常と変わらぬ慇懃なポーカーフェイスだったが、アスランはその声の語尾に、かすかに残念そうなため息を感じ取っていた。

「つかめない? つかませろ」

 アスランは即答した。

 その答えは予測の範囲内だったのだろう。

「ヴェーバー!」

 ホフマンが、張りのある声でその名を呼んだ。


 気がつくと、ホフマンの背後に知らない間の一人の男が立っていた。

美夜館シェーンナハトに勤める男なら誰でも切るようなかっちりしたスーツをまとい、金茶色の頭を下げて顔を伏せている。

 ヘルムート・ヴェーバー--あまりにも普通すぎる仮の名で働く彼は、気配を自由自在に操りながら、地味で目立たない館の使用人の風体で現れた。

「ヴェーバー。進捗を報告しなさい」

 ホフマンに命じられ、彼は、またアスランに対して一礼すると、はっきりした声で話し始めた。

「現在、ビンデバルド宗家を含み関連各所に、我々の仲間を飛ばしてみましたが、いずれも今回の事件に強い関与を示している者はいません。会場内にもビンデバルド一族の人間は多くいましたが、いずれも、厨房、厨房長に近づいた様子のある者は、現時点で報告に上がらず。ビンデバルドに限定せず、現在、厨房長の縁者を中心に調査を進めております」


「……わかった。確実に主犯を突き止めろ」

 アスランがそう告げると、ヴェーバーは深く頭を下げた後、そのまま、登場した時のように忽然と立ち去った。本当に、まるで空気に溶け込むように、瞬きしている間に彼の姿は消えてしまったのだった。

--ジグマリンゲンの諜者にはよくあることである。アスランはそれを気にとめる事もしなかった。


「どういたしますか?」

 険しい面持ちで虚空を睨んでいる若い主君に対して、ホフマンは控えめに今後の対策を尋ねた。


「どうもこうもない。主犯が確定出来ないうちに、先走ってはこちらが舐められる」

 アスランは、そう言い捨てると、二階の自室へ向かうホール前の階段の方へ歩いて行った。

「お食事は?」

 ホフマンは、何を考えているかわからない若い主君に対して、探りを入れるようにそう言った。

「城で喰ってきた。後で、部屋に酒を頼む」

「は」

 ホフマンは深追いはせずに引き下がった。


(ビンデバルドだと思いたいが……もしもレニだったら……)

 アスランの心境は、複雑だった。無論、正体不明の相手に暗殺されかかっていて、心中、単純明快明朗活発という人間もいないだろうが。




 神聖バハムート帝国、帝都シュルナウ、弾正台--。

 帝国における弾正台とは、皇帝直轄の監察・警察機構である。

 司法を司り、裁判所や監獄の役割は刑部省にあるが、それ以外の犯罪捜査や治安維持を勤めるのは弾正台の役割だ。

 とにかく、新年の祝賀会において、魔大戦の英雄暗殺という大胆すぎる犯行があったのだから、弾正台の動きも一気に活性化した。

 五年も続いた魔大戦のために帝都の治安も混乱している。

 便乗して凶悪犯罪が連鎖する事を防ぐためにも、アスラン暗殺の捜査と早期解決は必須だった。


 そして今回。

 弾正台がアスラン暗殺計画の捜査本部に任命したのは、誰あろう。

 エリーゼの父親、ハインツであった。

 ハインツ・フォン・アンハルト。

 彼はデレリンの地方貴族で騎士であるが、そもそもアンハルト家は、神聖バハムート北方のウィンターシュピーゲル地方において弾正忠を代々勤める家柄だったのである。


「エリーゼのためか……」

 シュルナウにアンハルト邸に帰るや否や、極秘と言い含められながら、帝城にとって返すはめになったハインツは、城内にある弾正台に向かう馬車に乗りながら、無表情のまま胸の内で不安をかみ殺していた。


 祝賀会で、いきなりエリーゼが突っ走り、アスラン暗殺を阻止したのだが、そもそも何故養女が、厨房の辺りをうろついたり、様々な突飛な行動を取ったのか、それが問題なのだろう。もちろん、ハインツも十分に帝城で周囲の貴族や役人に説明してきた。

 養女は巻き込まれただけなのだと。


 それならばなおさら、亡くなった戦友クラウスの忘れ形見を守るためにも、養父が捜査に当たった方がよい--と、弾正尹が判断したと思われる。

 それとは別に、養女が何らかの形で、アスラン暗殺に関与していると疑われているのかもしれない。ハインツはそれはないと言い切りたい。だが、弾正尹は、半信半疑だが、恐らくエリーゼの事も疑っているのだ。

 ならば、養女に濡れ衣や汚名をひっかぶせるつもりはない。二つ返事とは言いがたいが、ハインツは暗殺事件の犯罪捜査を引き受けた。


 貴族社会の陰謀の泥沼では、こうした腹の探り合いはよくある。


 本来なら、祝賀会を終えたら、デレリンの地方領主としてすぐに帰路につかなくてはならなかったのだが、ハインツはこうして、事件解決まで、愛妻ゲルトルートとともに、帝都シュルナウでアスラン暗殺捜査本部の部長として居座る事になったのであった。

 ゲルトルートには帝城へ向かう馬車に乗る前に、簡単な概略を耳打ちしてきたが、エリーゼにはまだ話していない。引きこもりの繊細な養女には刺激が強すぎる話だし、まだ血の繋がらない親子達には、そこまでの信頼関係は築けていなかった。




 弾正台の庁舎は帝城の中にある。

 既に暗闇に包まれた冬の帝城の、磨かれた建物の中を、ハインツは足早に移動した。

 まずは弾正尹に挨拶をして、捜査任務を拝命する手続きを取る。その後、弾正尹から直接もう一度、厨房長ジャン・マイヤーの身辺に関する調査書に目を通すように言われ、暗殺未遂が起きた時点での関係者の行動についての確認をした。


 ジャン・マイヤーは44歳。独身。

 体格のいい男で、料理の他にも腕っ節はよかったらしい。無論、専門の兵士としての教育はまるで受けていないのだが。

 帝都シュルナウでも有名な老舗の料理店の五男として生まれ、子どもの頃から料理のセンスには恵まれて、そこだけ言うなら他の兄弟の中では最も優秀だった。だが、生まれつき性格は短気で乱暴者、思慮にかけ、行儀作法も覚える気がない。

 そのため苦慮した父親が、人間らしいまっとうな行儀と常識を教えるために、十代の半ばを過ぎた頃、城の厨房に勤めに出したのである。最初の頃は大人しくしていたが、実力が認められるにつれてやはり乱暴な言動が増えて、トラブルが耐えなかった。

 だが、腕はいい。確かに料理は出来るし、仕事を覚えるのは早かったために首になる事だけは免れた。また、自分よりも腕っ節が強い相手には食ってかかる事はなかったという。

 その傾向は20代、30代になっても続き、そのうち、腕っ節が強い相手だけではなく、立場が上だったり権力者だったりする相手の前では借りてきた猫のように大人しくするようになったので、自然とトラブルも消え、元々、料理のセンスと腕だけはしっかりしていたので、ほんの三年前、彼は帝城の厨房長という名誉職に就いたのであった。その後は得意満面で、他と摩擦を起こすようなことはなかったというが……それらはもう一度確認を取って回らなければならないかもしれない。



 そうしたことがはっきり細かく書いてある調書を読みながら、ハインツは、従者を伴いつつ、弾正台の庁舎の中にある取調室に向かった。


 薄暗い取調室の中のドアを開けると、そこには、机の前にうなだれて座るジャン・マイヤーと、監視と護衛の役人だけがいた。

 ハインツはつかつかと歩み寄って机の手前に座った。


「ジャン・マイヤーか」

「……はい」

 ごまかしようがないと思ったのだろう。下を向いて目をそらしながら、体格のいい男は答える。

「年は43歳。妻子はいない。シュルナウの南大門通りの実家に、家族がいる。既に代替わりしていて長男が家と店を継いでいる。間違いないな」

「……はい」

 ジャンは、そわそわと視線を動かしている。だが、体格に似ず頼りなさそうな声でそう言った。


「何故、厨房長の立場にありながら、英雄への食事に毒を盛った?」

「……」


「返事をしろ」

「知りません」


「知らない?」

「知りません。……俺は何も知りません。何かの間違いです」


「何の間違いだと言うんだ」

 ハインツは呆れた。

 そういう話になる。

 知らぬ存ぜぬで押し切ろうという訳だ。さすがに、子どもの頃から「思慮に欠けている男」……。だが、彼は、自分より強い者には刃向かわないという従来の性質を持っている。そこをつけば、自白させるのは早いだろう。

 そう読んだハインツはいくらか柔らかな声を出してみる事にした。


「この部屋は少し寒いな……ああ、暖房をかけてくれ」

 さりげなく、ハインツは従者の役人の方にそう声をかけた。従者は黙って、暖房設備の方に向かった。

「雪が降っていたな」

「はい」

「帰るなら気をつけて帰るんだぞ。脱輪に気をつけてな」

「はい。ありがとうございます」

 従者の役人は、ハインツに微笑みかけて返事をした。


 そのとき、マイヤーはかすかなため息をついた。役人達は、この部屋を出て家に帰られるのだ。計算していたハインツはそれを見逃さなかった。


「この正月は酷い雪だ……俺はウィンターシュピーゲルの出で、この程度の雪では、雪が降ったとも言えないぐらいだが、帝都の連中はすぐに雪だ雪だと騒ぐようだな」

 ハインツはマイヤーの方に向き直った。

「この寒さだ。お前の実家じゃどうしているだろうな?」

「……」

「去年の正月には、実家に帰ったのか?」

 これまたよくある手口である。里心を呼んで、人間らしい温かい感情、そちらの方から訴えかける。

 ちらちらと視線を動かし、ハインツの顔色をうかがうマイヤー。寒いはずなのに、額に汗が滲んでいる。

 ハインツは、意外と落ちるのは早いかもしれないと期待しながら、少しずつ、将棋の駒をすすめるように、質問を重ねていった。




 同時刻の帝城--。

 もう、日付も変わる頃合いだが、皇女宮に灯る灯りは、消える気配もなかった。

 同じ帝城の中で、魔大戦の英雄の暗殺が、未遂とはいえ実行されたのである。それに対して不安がるのは、皇女達だけではない。

 むしろ、皇女達に仕え、彼女達を守る、侍女や護衛達が、蜂の巣をつついたような大騒ぎとなり、姫君達が何事もなく無事に過ごせるようにと、警備を固め、夜勤の侍女の数を増やしたのである。警備兵や護衛の諜者も。


 皇女イヴティサーム・アティーファの私兵キノエ・シュヴァルツもまた、弟のユキを伴い、皇女宮に残っていた。

 アスランとリュウは先に城から帰っていったが、きのえは姫君達を守るために残り、|志《ユキ》はその兄を心配して、皇女宮までついてきてしまったのだった。


 常人オルディナの兄に対して、地獣人モフの弟。

 当然ながら、血は繋がっていない。だが、きのえユキは実の兄弟以上に仲が良いと評判だったし、実際にそうであった。


 きのえは自分たちイヴの私兵に与えられた控え室に義弟を連れてきて、一緒に熱いコーヒーを飲んでいた。

 気を利かせた侍女達が、アスラン暗殺の余波で皇女宮の守りを固めた、兵士達に飲み物を振る舞ってくれたのである。

「ああ、ありがとうよ」

 顔見知りの侍女が愛想を振りまきながら、渡してくれたマグカップを受け取りながら、きのえは自分も愛想のよい笑顔を浮かべた。

 ユキの方はブラックコーヒーではなく甘いカフェオレを受け取り、喜びが自然にその狼の尻尾に出て、元気よくぶんぶん振っている。


「でも兄貴、いいの? 俺。こんなふうに、もらっちゃって」

「ああ。お前は、ギルドに登録している冒険者だろう。日頃から、成績がいいから、さっき俺が手続きを取っておいた。当分、城で俺と一緒に護衛の仕事をしろ」

「えー!」

 いきなりの話にユキはびっくりする。


「勝手に決めないでよ! 俺にだって予定があるのに」

「何の予定だ?」

「……」

 ざっくりときのえが聞き返すと、ユキは返答に困ってしまった。冒険者ギルドの本部に張り出される、様々な依頼を自分でこなして、仕事でよい成績を残し、冒険者としてランクアップするのが、|志《ユキ》の日頃の目標である。

 ユキは現在、SSランクの冒険者だが、もう一つ上、SSSランクの冒険者になれば、帝城にフリーパスで出入り出来る権利が得られる。


 現在、神聖バハムート帝国には、SSSランクの冒険者は一人しかいない。

 リュウ--リュウ俊杰ジュンジエ。彼だけなのだ。


 大貴族ジグマリンゲンの次男アスラン、イヴの私兵である義兄、仲間で冒険者の大先輩にあたるリュウ、彼らは帝城に自由に出入り出来るので、ユキは自分も登りたいと思い、日々張り切ってギルドの仕事をこなしていた。


「その、ギルドの仕事に俺が、当分、皇女宮の護衛をして欲しいという依頼を出して、お前を指名した。お前は憧れの帝城の仕事を、当分出来るんだ。喜べ」

「え? えーっと……? ???」


 義兄は実に彼らしく、義弟を煙に巻いてしまった。

 実際問題、アスランが城の中で狙われたのだ。

 意外と帝城の警備は薄いと思われ、何事も迫害されがちな双子の姫と皇太子が賊に襲撃される可能性はある。

 そうはさせないためにも、キノエは信用出来る戦力を増やしたかったのだ。

 SSランク冒険者とはいえ、それはユキの18歳という若さと素直さに関しての評価が裏目に出ているだけのことで、実力は申し分ないと義兄は思い込んでいる。



「まあとりあえず、アスラン暗殺計画の犯人が割り出されて、仕留められるまでは、不穏な状況は続くだろう。その間、アン様や、姫達の安全と平和を確保するのが俺たちの役目だ。真面目にやってくれ、ユキ


「それはいいけど……」

 やはりまだ、何か釈然としない表情のユキは、侍女が運んできてくれたカフェオレを一口飲もうとして、あまりの熱さに顔をしかめた。


「熱ッ!」

 思わずちろりと舌を出してしまう。狼耳をひくつかせながら、カフェオレの湯気をかいで惜しそうにカフェオレを見るユキはなんとも言えず可愛らしい。


「お前、狼なのに猫舌なんだよな~」

 おかしそうに笑いながら、|甲《きのえ》は自分が真っ黒な苦いコーヒーを飲み、一息ついた。

 恐らく今夜は、徹夜で警備する事になるだろう。

 本当に、これ以上帝城では、何事もなければよいのだが--。



 ジグマリンゲン邸。深夜。

 最早、使用人達の誰もが寝静まった時刻。

 恐らく、忠実なホフマンでさえも、自室のベッドに入って昏々と眠りについているだろう。

 諜者のヴェーバーぐらいは、ひっそりと夜の闇の中で、仕事をこなしているかもしれないが……。


 アスランは、その時間に、一人、美夜館シェーンナハトを出て、敷地内の庭をゆっくりと歩いていた。

 それこそ、暗殺未遂があったその日の深夜の事である。普通だったら考えられない、危険な行動だった。

 だが、アスランには、自分がそうそうたやすく殺されてはやらない自信があった。

 別に、賊をおびき寄せようという魂胆などがあるわけではないが--。


 それでも、自分は、死なない。殺されない。

 そういう不敵な確信が常にアスランにはある。


 だが、その彼の表情は、いつになく厳しい。光溢れる蒼穹を思わせる双眸には暗い陰りが宿り、雪の積もった煉瓦の道を歩きながら、アスランは夜の庭園を巡った。


 帝都シュルナウの一月の夜。


 冷たい夜気にさらされながら、アスランは、ともまわりもつけずに一人で雪の玉砂利を踏んでいた。ジグマリンゲン邸の庭は、北方の雄のそれらしく、広いだけではなくよく整備され、トネリコやニオイヒバ、松の大木などが植えられている。広い芝生の真ん中には巨大なウエディングケーキのような噴水が設置され、その周辺の花壇には冬の花が咲き乱れていた。


 シュルナウの他の貴族が見れば、異国情緒があふれる庭である。それは、庭の木々の間に、山桜や椿が点在していることだろう。


 紅白の椿は今が時期で、みずみずしい香りを放ちながら咲き誇っている。その木々を抜けて、アスランは、彼らしくない無表情で夜の中を歩いていた。


 暗殺直後の身で、夜中に庭を歩くなど、常識なら考えられないのだろうが、彼は今、一人になって考えを整理したい気持ちだった。


 自分が暗殺されかかった件。


 本人に心当たりは、いくつかあった。


 今日、仲間と無邪気に話していた時には見せない表情で、アスランは、その心当たりを一つ一つ、頭の中でピックアップしては様々な角度から考え直していた。


 正直な事を言ってしまえば、アスランは、自分が貴族の中”では”異端視されていることを知っていた。近衛府に同期の仲間は何人かいるものの、彼は、新興の冒険者達と仲がよい事や、その冒険者達が組みたがる、大商人や目の付け所が違う発明家などと、妙に馬が合う事が、強みであると同時に諸刃の剣である自覚があった。


 そして、貴族は貴族なのである。自分の既得権益を守りたい伝統ある貴族にとっては、自分のような変わり種が、どういう存在であるかは、知っている。少なくともそのつもりである。


(ノイゼンを飛び出てきたのが八年前……ちょっとやり過ぎたかな?)


 さすがに、魔族以外の貴族に命を狙われる段階となると、彼のような陽気な人間も険しい顔になることがあるようだ。


 無論、皇帝の政敵、ビンデバルド宗家の事は最初に気がついていた。証拠がないのでなんともいえないが、皇帝の三人の娘と魔王決戦で勝利したのだから、彼は明らかに皇帝派の人間とみられている事だろう。


 だが、そのビンデバルド宗家に、即座にジグマリンゲンのコネを使って反撃に出なかったのには理由がある。




 アスランは、冬枯れの山桜の木の前に進み出て、そこで足を止めた。




 山桜--彼の母、マリカの母国オノゴロ王国の花。




 この庭がなぜに、東洋の匂いがするのかといえば、マリカの趣味であるとしかいえない。そして、マリカが産んだ子どもは二人いた。ジグマリンゲン家の長男は別にいる。つまり、そういうことだった。


(レニ。兄上……)




 アスランは軽く唇をかみしめる。

 北方の雄、ノイゼン港を本拠地とするジグマリンゲン宗家の次男が、何故帝都シュルナウに一人住まいをしているのかというと、理由は簡単である。


 嫡男である長男レナートスの最大のライバルが、次男アスランだったからだ。



 それは考えたくない可能性ではあるが、考えたくないから考えないでいいという事にはならない。


 アスランが、真っ先に疑ったのは、十代の自分と本気で家督を争い、家臣団を真っ二つに引き裂いた兄の事であった。その話は屋敷の執事にさえいえないし、親友のリュウにもいえなかった。彼は、どうやって、レナートスへの信頼を取り戻していいのか、考えていた。



 考えるとして、疑惑を兄にぶつけることでも戦うことでもなかった。


”どうすればレナートスを信頼出来るか”を、考えた。


 未だ咲かない山桜の木を見上げ、アスランは、同じ腹から生まれた兄の見えない目の事を、考えていた……。

あとがきなど
読んでいただきありがとうございます。
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