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短編

OT0NA

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BL

第一章 転生養女エリーゼ

どこにでもある花による死

 夜が明けた。
 冬の冷たく暗い空が、東側から徐々に白み始める。
 帝都シュルナウの東側は、海である。
 ベネディクタ・テラ大陸と、シャン・リーミン大陸の間に広がる、大海原の名は、カイ・ラー。

 そのカイ・ラーの、シュルナウ近海に、魔大戦中、離れ小島が隆起した。
 その突如生まれた離島が、魔族に占拠され、魔大戦の戦況を一気に覆した事、そして最終決戦がその島である事を知らぬ者は、神聖バハムート帝国にはいないだろう。

 離島の名を、|荒野《エーデ》。
 その名の通り、最初は生命の息吹の感じられない、まるっきりの荒れ地だったのだ。
 そして現在も--魔族の瘴気を浴びた土地は、むき出しの地面と岩石しか見られない。その離島に、陽の光が差し込む。

 清らかな黄金の光が、カイ・ラーの海原を東から照らし出し、徐々に、徐々に--暗く冷たい大気を暖め、海を、島を、砂浜を、そして帝都を明るく照らしていった。
 カイ・ラーの海から吹き上げる潮風も、夜半の頃の荒れ狂う、身を切るような冷気を和らげ、朝の清新な優しさを取り戻したようだった。

 その偉大な日輪の光は、帝城に明るさを与え、帝城の中の弾正台にも差し込んだ。
 明るく清らかな陽光。

 それに導かれたように、弾正台の役人達は、テキパキと朝の仕事を開始した。夜の間も休みなくひっきりなしに動いていた役人達は、朝の五時で、交代となり、出勤してきた当番と申し送りをかわした。
 その不運な役人も、自分の与えられた仕事に頭を痛めつつも、夜半の間「何も変わった事はなかった」と言われたので、そのまま、持ち場に回り込み、重要参考人の顔を見てやろうと思ったのだった。

 不運な役人の、不運な役割--。
 祝賀会における、英雄アスランを暗殺未遂にした、下手人の厨房長ジャン・マイヤーの見張りと護衛である。
 彼は今日も、ハインツが出勤してきたら厳重な取り調べを受けるだろうし、その前に体調の確認などをしておきたかったのだ。

「おい、起きてるか」
 ぞんざいにそんな声をかけつつ、不運な役人は、取調室の隣の、寝泊まりぐらいは出来るだろう広さの個室のドアの窓をのぞき込んだ。
 ドアの窓は、人の顔が丸見えになる程度の大きさで、中の様子はよく見えた。

 そして彼は、潰れたカエルのような悲鳴を上げた。

 次の瞬間、制服の中から鍵を取りだし、がちゃがちゃと大きな音を立てながら、ドアの鍵を開けて中に飛び込んだ。

「……し、死んでる!」

 暗殺未遂の犯人と目されていた、ジャン・マイヤー。
 彼は、喉をかきむしっているような姿勢で、白目を剥いて、ベッドの隣に倒れていた。床に、天上を仰ぐ格好で、相当苦しんだらしい酷い形相で、死んでいるようにしか見えなかった。

 不運な役人は、死体を前にして、臆病な悲鳴を立てたものの、すぐにその手を取って脈を取り、色々と観察し、彼が本当に死んでいる事を確認した。
 頭がぐらぐらしてきた。頭が痛いとは思っていたが、いきなり、これはないだろう……。

 何はともあれ、不運な役人は、報告に走った。
 ちょうどそのとき、取調室への廊下の角を曲がって、ハインツが現れた。
 ハインツも、朝五時に合わせて出勤してきたのである。
 とにかく、ジャン・マイヤーの知っている事を全て白状させることが先決だったし、事件の背景を一刻も早く把握したかったのだ。
 それで、出てきた途端に、真っ青になった顔見知りの役人が、大慌てでバタバタと自分の方に駆け寄ってきたのだから、驚いた。

「何だ?」
「死んでます」

 慌てた役人は省略しすぎた単語を、いきなり、ハインツにぶつけてしまった。
 一瞬、キョトンとしたハインツだったが、すぐに額と眉に皺を寄せ、役人の顔を凝視して言った。

「冷静に答えろ。それは、ジャン・マイヤーか?」
「はい、その、彼です」
 努めて冷静になろうとし、額の脂汗をしきりに拭いながら、不運な役人はこたえた。

「……しまった!」
 誰だってそう思うだろう。ハインツは、思った事をそのまま口にした。
 あるいは、もう少し言い方を変えれば、「しくった」と言う人間もいるかもしれない。だが、ハインツはそう言って、足早に、ジャン・マイヤーに与えられた監房の方へと急いだ。
 走り出しそうな勢いだった。

 そうして彼は、死臭のする部屋の中に入っていった。
 ジャン・マイヤーは、相変わらず、天上を仰いで倒れていた。体は随分硬くなっているようだった。

 ハインツは、ジャン・マイヤーの死体の方に近づいていき、その隣にひざまずき、脈や呼吸を確認して、自ら、彼が本当に死んでいる事を確認した。そして、今度は口の中で呟いた。

「畜生」
 周りに誰もいなかったから言える事だった。
 アンハルト侯爵の彼には、常に、色々な意味での品性が求められる。

 そうこうしているうちに、不運な役人が出くわす相手出くわす相手に騒いだのだろう、ジャン・マイヤーの死体を見に、次々と役人達が現れた。

「アンハルト殿、ジャン・マイヤーは……」
 恐る恐る、別の役人が、ハインツに声をかけた。他にも数人の若い役人達がどやどやと、監房に詰めかけている。
「口止めだろうな。確実に殺されている。恐らく、毒だ」

「毒?」
「毒に詳しい者を呼べ!」
 ハインツが命じると、監房に詰めかけてきた若い役人達は、ワラワラと、医者と、毒物の専門家を呼びに走って行った。

 弾正台には常に何人かの医者が詰め所にいるようになっている。その医者が駆けつけてきて、死体を調べた。その結果、毒はすぐに判定された。

 コンバラトキシン。
 鈴蘭の毒である。
 死因は心臓麻痺と診断された。

 その報告を受けたハインツは、あんまりなことに、自分も軽い目眩を感じた。
 コンバラトキシンは鈴蘭の全草からとれる毒だ。そして、神聖バハムートのシュルナウ地方で、鈴蘭ほど、人間に近い位置にいる花はそうそうなかった。
 それこそ、公園にでも道端にでも、どこにでも生えている花なのだ。
 それで、子どもが誤飲して、病院に運び込まれる事故は、鈴蘭の花期だったら毎年のようにある。
 裏を返せば、子どもでも簡単に手に入れられる毒なのだ。その毒を使われたとなったら、逆に、犯人の割り出しが難しい。

 シュルナウ地方で鈴蘭に毒があることを知らない者は、滅多にいないだろう。

「どうします……?」
 医者の報告を一緒に聞いていた、役人達がハインツの顔を見ながら尋ねてくる。

「そうだな。とりあえず、ジャン・マイヤーがどうして鈴蘭の毒を体内に入れたのか、確認しろ。後は、私の方からジグマリンゲン卿に報告する」

 その頃。
 美夜シェーンナハト館では、アスランは既に起きて、書斎の机で伝書鳩と向き合っていた。
 鳩、と呼ばれているが、実際の鳥類の鳩よりは大分小柄である。そしてその正体は、現代日本で言うなら、単四電池ほどの小型のジェムに、魔力を打ち込み、命令を与えて飛ばしたものである。
 ジェムは、鳩などのわかりやすい生命体に変身して、超光速で空を飛び、命令された情報を相手方に渡す。
 インターネットがないセターレフにおいての、電子メールのような役割を果たしている。

 鳩に見える小型の鳥を手に止まらせて、アスランは、パスワードを小声で呟いた。
 もちろん、書斎の中には彼以外には人はいない。

 その「鳩」は、母マリカの使う伝書鳩だと、一目でわかったのである。それで、マリカと自分だけの知っているパスワードを、誰もいない書斎で鳩にささやいた。

 途端に鳩は変身し、一通の女文字の手紙がそこに現れた。
 手紙はかなりの長文だった。

 マリカに、メールを送ったのは夕べの事。早速、彼女は、次男のために、長男の様子をはっきり詳しく書いてよこしたのだった。

 ジグマリンゲン宗家の長兄、レナートス・ナタニエル・フォン・ジグマリンゲン。
 彼は、アスランが暗殺される時刻も、生真面目で勤勉な彼らしく、執務室で書類を見ていたという。
 
 そして、アスランの暗殺未遂の報告を受けると真っ青になって硬直したということである。その後、執務室から出て自分の部屋に引きこもり、一時間弱、出てこなかった。部屋から出てきた後も、しんどそうだったが、気付けがわりにワインを一杯だけ飲んで、執務に当たったということである。生来、病弱だが、真面目で、弱音を吐かない彼らしいといえば彼らしい。アスランの事はひどく気にしているようで、マリカにも、父ウィンフリートにも弟の様子を何回か聞き、シュルナウの屋敷の警備の様子も聞きたがっているということであった。

……怜人(レナートスのこと)はあなたの命の無事を心配し、祈っています、私もですよ、アスラン……

 母マリカは、手紙をそう締めくくっていた。
 アスランは、彼女の手紙がオノゴロ島の漢字とひらがなで書かれているのを見て、しばらく考え込んだ。
 テラ大陸の神聖バハムート帝国と、シャン大陸に近いオノゴロ島、オノゴロ王国の国交は、三十年ほど前に開かれた。国交が開かれると同時に、留学生が交換され、その際に神聖バハムート帝国にオノゴロ王国を代表して到来した学生が、マリカだったという。そしてバハムートの貴族であるウィンフリートと出会い結婚。
 ウィンフリートは当時、帝都シュルナウの海軍士官学校に在学中だった。
 当然、マリカは、ジグマリンゲン宗家の嫁が勤まる程度に優秀な女性で、彼女は、アスランとの書簡を交換する際には、「バハムート人には読めない」漢字と仮名文字を使う。恐らく、レナートスともそうだろう。
 親子の些細な話題であっても、漢字などで書き記す。

 それは、当然ながら、貴族の会話や記録は、機密扱いである方がいいに決まっているからだ。
 まして彼女は、外国から来た嫁であり、二人の男子に恵まれたとしても、地位は不安定な時代が長かった。かぎまわられたくない事はたくさんある。それで、マリカは夫と息子達には母国の言葉と文字を教え、それを、半ば暗号がわりに使っていたのであった。

 マリカは、オノゴロの文字を使いながらも、包み隠さず、レナートスの様子を自分に教えてくれているのだろう。だが、……。
(父上はどう思ってらっしゃるか……)
 アスランはジグマリンゲン当主であるウィンフリートの心中を慮った。だが、彼は、マリカに息子と連絡を取る自由を許している。と、言うことは、ジグマリンゲンの本拠地ノイゼンはまだまだ安全ということだろう。
 そう読み取って、アスランは、母への返信をどうしようか迷っていたのである。

 そこに--。
 書斎机の手前の窓に、鳥が飛来した。
 カケス。
 青に黒のストライプの入った羽を持つ、30㎝足らずの小型のカケスが、しきりに窓をつついている。

 カケスの種類をアスランは見て取り、窓を開いて鳥を中に入れた。
 弾正台が、カケスを使う事は知っていた。あらかじめ、ハインツから教わっていたパスワードを唱えると、カケスもまた、変身して一通のメモの走り書きとなった。

--大至急、弾正台に来られたし。厨房長死亡。

 そうとだけ、書いてある。筆跡は恐らく、ハインツのものだろう。
 それだけで、事実はわかる。
(口封じかッ……)

 アスランは瞬間的に美しい顔をゆがめたが、すぐにメモの走り書きを握りしめた。彼は書斎の隣の寝室に向かうと、即座に略式の軍服に着替え、メモを胸ポケットに突っ込むみ、外套を肩に引っかけて、自分の部屋から早足に飛び出ていった。
 大貴族であるアスランは、平時は近衛府の中将である。

 死人に口なしとはよく言ったものである。
 厨房長は、元々、思慮が足りなく口が軽そうな男であった。
 厨房長ジャン・マイヤーとアスランには何の接点もない。逆に、エリーゼが、厨房の前で「悪徳大臣に命じられた」と、厨房長が口を滑らせている事を聞いている。

 そのため、アスランは、ビンデバルドなど、貴族か、--それこそ実家が、英雄として目立ちすぎた彼を暗殺しようとしていると読む事が出来たのだ。

 そのジャン・マイヤーが、弾正台に捕まった日の翌日の明け方に、死亡。口の軽い男に生きていられても、相手方には、百害あって一利なしなのだろう。わかりやすい話である。

 だが、あの弾正台の警備をどうやってかいくぐって、暗殺したのか……。
 それが、近衛府の軍人として、酷く気になった。

 弾正台だって警察機構だ。バカではない。
 それこそ、日頃から鼠一匹通さない警備と監視の目があるだろうし、アスラン暗殺未遂の昨日の今日で、監房の周りは、護衛も兼ねての役人がぴったり張り付いているはずだ。

 弾正台は、プロの警察なのである。
 その警備網に、何があったのかがわからない。
 弾正台にも魔道士、魔法使いはいる。その魔法の手妻を切り抜けて、器用に、監房内のジャン・マイヤーを殺す手口があったということになるのだ。

 その手口をまねられたら困るのは、アスランだって同じである。彼自身の身を狙われる事もあるだろうが、何よりも、彼は近衛……「皇帝の親衛隊」の一人であった。親衛隊の仕事に、皇帝の警備がないわけがない。
(どういうことなんだよ!)
 焦りと苛立ちを感じながら、アスランは、機動馬ヴィークルで弾正台にまっしぐらに走った。

 弾正台に着くと、すぐにハインツが直接出迎えに出てきた。
「ああ、ジグマリンゲン卿。待っていました」
「アンハルト卿、このことは、外部には?」
 アスランは素早く辺りを見回しながら、ハインツに言った。
 ハインツは、首を左右に振った。
 今のところ、ハインツが選んだ関係者以外に、弾正台内の不手際を漏らす気はないらしい。
 アスランはなんといっても、ジャン・マイヤーに殺されかかった張本人であるし、大貴族であるから特別に教えたということらしい。

 ハインツとアスランは視線で会話をし、ハインツに促されるままに、アスランは、彼とともに死体のいる監房に向かった。
 ハインツは、ジャン・マイヤーの死体をまだ動かしていなかった。
 そこでは、数人の役人が警備を固め、ハインツの許しがない限り、誰も中を見る事も出来ないようにしていた。

「死因は?」
「コンバラトキシンなど、鈴蘭に入っている毒だ。相当、苦しんだはずだが、夜半の警備の役人からは何も証言が上がってこない。気づかなかったと言っている」
「……?」

 コンバラトキシンの他にも複数の毒物が上がったが、どれも、鈴蘭の猛毒であった。
 全草からとれるあらゆる毒……。
 アスランがよく見ると、床に嘔吐のあとがある。
 その脇にある酷い形相の遺体。

「嘔吐だけではない、頭痛、目眩、血圧低下、そして心臓麻痺……コンバラトキシンの猛毒は酷いもんだ」
 ハインツはため息をついた。

 アスランも、シュルナウに居住して数年になる。鈴蘭の取り扱い方と、その毒性の強さについては知っていた。ただ頷くしかない。
 アスランは、何の関係もない自分を、殺そうとした厨房長に向かって目礼し、ミトラ十字を切った。魂だけでも、安らかに。

 だが、そこで感傷は立ちきり、彼はハインツの後に続いて、遺体のそばにかがみ込み、何か死亡の手がかりはないか探し始めた。

「このコップは?」
 遺体の隣にそのまま転がっている小さなコップを見て、アスランがハインツに尋ねた。
 ハインツは頷いた。

「どうやらそこのポットからくんだ飲み水を飲んで、こうなったらしい」
「すると--?」

「それが、ポットの水からも、コップからも、コンバラトキシンに限らず、何の毒物も発見されていない」
「発見されてないのですか?」
 アスランは鸚鵡返しにした後、すぐにハインツに聞いた。

「魔法、ということですか?」
「恐らく、そうなる」
 恐らく、という辺りに重々しさをこめて、ハインツが言った。

 まだ断定できないが、魔法というラインが強いらしい。
 専門の過去視や、予知者を使えば、相当、情報を洗い出せるだろうが、その過去視を妨害する魔法というのもこの世にはある。どんどんややこしくなってしまう場合もあるのだ。

 魔法による暗殺を、魔法で調査するには、冷静さと常識が必要になってくる。

「魔法を使った陰謀だとすると、面倒ですね」
 ハインツは返事をせずにただ頷いた。

 魔法を勉強し、習得出来る者は、セターレフにおいては大体決まってくる。王族、貴族、権力者--あるいはそこに近い、大商人などである。
 なぜなら、魔法の習得にはそれぞれのペースがあるのだが、最初のうちは、魔法を帯びたアイテムや、ゆかりのアイテム、薬品などが大量に必要になり、それが非常に高額なのである。
 成長の段階に従って、アイテムを使わなくてもよくなってくるが、それでも必要な時は必要になる。それで、基本的には、魔法を使える人間は、王族、貴族、大商人などの、金に困らない階級の人間が多いのだ。

 つまり、今回の陰謀の人間は、金と権力と魔法を使いこなせる、曲者という事が、エリーゼの発言以外でも確実な路線となってくる。
 それは予想の範囲内だったが、出来れば、毒殺ぐらいしか手段のない人間による、単純な事件であって欲しかった。

「ハンナというメイドは?」
 アスランはさらに、ハインツに尋ねた。ハンナは、ジャン・マイヤーに頼まれて、毒料理の皿を彼に運んだ女性だ。まだ若く、赤子を抱えた母親でもある。

「取り調べをしてみたが、本当に何も知らずに料理の皿を運んだだけというのがはっきりしている。それを、同僚のヨハンという男が保証した。ヨハンは、ジャン・マイヤーが脅されて、料理に毒を盛ったということは知っていたが、彼の言う悪徳大臣とは誰の事かは聞いていないと言っている。しらを切っている様子もない」
 ハインツは嫌そうな顔になった。
「口が軽い方ではあるんだろうが、中途半端に頭がいいというか……そこまで話すなら、大臣とやらの名前を白状してくれてもよかったんだが」
「”俺の名前は何があっても出すな”と、そう言われていたんでしょう」
 アスランは肩を竦めた。
 そういうふうに言い含められていたので、昨夜はハインツの尋問にも耐えきったのだろうが、朝になったら死体になっていた。
 口の軽重による信用というものが、どういうことか、わかるというものである。

「ヨハンという調理人の調査も必要になるのでは?」
「無論だ。既に、弾正台に呼んでいる」
「……」
アスランはまた、考え込んだ。
 自分を狙っている人間が、古い因習としがらみを持つ、高度な魔法を使いこなす貴族達だとは思う。
 ならばその陰謀を暴いて、覆す方法があるとしたら、それはなんなのか。

「頼む」
 そのとき、ハインツが他の役人に、透明な袋にコップとポットを入れて手渡しているのがわかった。

 とりあえず、証拠品になるものは全て押収し、調べられる限りは調べ尽くすのだろう。

「ジグマリンゲン卿、これから、身内の捜査が始まるんだが……」
「わかりました。俺は、近衛府に戻ります」

 弾正台の身内のものが、ジャン・マイヤー暗殺の下手人を手引きしたのかもしれない。そういうわけで、身内の身元や調査がこれから行われるのだろう。
 そこに、近衛府の人間がいるわけにはいかない。

「今日のこと、大将に話しても?」
「それは、かまわない。だが、うかうかとすると、人の事は言えなくなるぞ」
「……そうですね」

 アスランは、考え深げに頷いた。そうして、アンハルト侯爵の好意に例を言い、弾正台を後にした。

 帝城の中にある、弾正台のごく近くに、近衛府の建物がある。
 アスランはまっすぐにそこに向かった。
 彼の直属の上司、近衛府の大将は、ベネディクト・ベッカーと言い、四十絡みの常人オルディナである。そうである以上、風精人ウィンディのようなたぐいまれな美貌や魔力、魔法の技などはないが、不断の努力による戦闘力と、卓越した頭脳を持つ、人間味溢れる男であった。
 アスランにとっては、珍しく信頼出来る上官である。
 自分の暗殺未遂事件のこの顛末を、報告しない訳にはいかないだろう。

 無論、頭のキレるベッカーの事だから、既に弾正台の近辺に諜者を飛ばし、状況を把握している事もありうる。

 だが、報連相を密に取っておいて、損のない上司であるので、アスランはそこは素直に
ベッカーの方へと歩を進めていった。

 近衛府は、左近衛府、右近衛府と二つある。
 そのほかにも、帝都を警護する左右の衛門府、シュルナウに住む皇族、貴族を護衛・警備する左右の兵衛府があり、一般に六衛府と呼ばれている。

 それとは別に、神聖バハムート帝国には兵部省があり、軍事防衛を司っている。兵部省の中に、陸海空軍があるのだ。

 近衛府の役割は、皇帝の親衛隊であり、皇帝の手足となって戦い、職分を果たす事である。
 左右の近衛府には、必ず大将が1名、中将が3~4名、少将が3~4名と続く。
 アスランは、左近衛府の中将で、ベッカーに継ぐ責任と発言力を持っていた。

 彼は、北方のノイゼン港で生まれ育ったため、生粋のシュルナウ貴族ではない。
 魔大戦勃発直前の、19歳の時に海軍士官学校に転入してきた少年である。
 いきなりノイゼンから転入してきた気が強く自立心の激しい青年はすぐに様々な小事件を起こしたが、そうこうしているうちに魔族が侵略戦争をふっかけてきたため、直属の上官と各地を転戦、いつの間にか士官学校を卒業した扱いになり、そのまま魔族を倒す事により出世していったのであった。

 元から、北方では代表的な貴族、ジグマリンゲン家のポテンシャルもあったため、出世はかなり早かっただろう。

 彼は、魔大戦において、着実に魔族を倒す事の出来た歴戦の勇者であり、他にも魔王の首級をあげたという揺るがぬ事実を持っているからこその英雄であった。
 そのため、彼を認めたくないという古い貴族達は少なからずいる。--特に、帝都には。

 庶民から無敵の人気を誇るからこそ、古いシュルナウの貴族達が、彼を目障りだと思い、外部の異分子を排除しようとするのだろう。それは薄々勘づいていたが、ここまではっきりと、新年早々、悪意を向けられるとは思っていなかった。

(俺も、甘かったな……)
 そこは、反省するしかない。だが、ここでむざむざと破れる気はない。
 自分を汚い手口で暗殺しようとした人間を洗い出し、反撃する。
 新年最初の彼の仕事は、それだった。

あとがきなど
読んでいただきありがとうございます。
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