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第一章 転生養女エリーゼ

血が繋がってなくても

 夕暮れ時。
 旧市街アルトスタット、アンハルト邸……。

 ハインツの愛妻、ゲルトルートは、食堂の隣の居間の椅子に腰掛けて、唇を軽くかみしめていた。
 彼女は、シュルナウ貴族のエーデルシュタイン一族の出で、若い頃、帝国学院大学部の国文科を優秀な成績で卒業した事で有名だった。そのため、魔法において、呪文の基本が完璧であるため滅法強く、才媛と呼ばれていたのである。
 その評判を聞いた、ジグマリンゲン同様、北方の貴族アンハルト家が、様々なコネクションを使って、是非にと嫡男ハインツの伴侶へと選んだのであった。
 ゲルトルートは最初、北方の田舎貴族となんかと相手にしなかったのだが、ハインツの人柄に次第にほだされて結婚。

 二人の間に子どもが出来なかった事だけは残念だったが、逆に言えばそれ以外、文句のない人生を送らせてもらったと思ってる。
 ハインツも似たような事をゲルトルートに何度か言っていて、まあ色々な意味で似たもの夫婦であった。

 それだからこそ、ハルデンブルグ伯爵家の悲劇を聞いた時はいてもたってもいられず、エリザベート・ルイーズを引き取って、自分たちは悔いのない人生を送った、送れるのだということにしたかった。

(私は贅沢を言ったのだろうか……)
 だが、ここに来て、ゲルトルートは、そういう感情に襲われ、非常に悲しんでいた。
 自分が、母校の帝国学院にエリーゼを入学させ、青春を謳歌させ、帝国貴族として恥ずかしくない淑女に育てて……と言う、欲を言ったから、エリーゼとハインツはこんなとんでもない事件に遭遇してしまったのかもしれない。

 エリーゼを引き取った事は後悔していないし、エリーゼを幸せに育てるという目的は揺らいでいない。
 だが、ウィンターシュピーゲルにも貴族の少女が通う学院はあり、そこでだってエリーゼは立派な成績をおさめることが出来ただろう。
 何がなんでも、帝国の淑女を育てるのならば我が母校!
 自分が楽しい青春を過ごせた帝国学院!

 そう言い出して聞かなかったのは、ゲルトルートの方なのだ。
 大人しいエリーゼは素直に従ったし、夫のハインツもそれがいいと言ってくれた。

 だが、そのせいで、エリーゼは帝国学院に通う前から、貴族の陰謀(同じく貴族のゲルトルートには即座にわかった)に巻き込まれて暗殺未遂事件を阻止する、そのことによって目立つ……目立ちすぎてる。
 夫のハインツは危険な捜査本部に引き抜かれ、朝っぱらから出かけてこの時間になっても帰ってこない。
 ハインツだって、武力も魔力もあってこその弾正忠、滅多な事はないだろうが、心配で心配でならないし、やはり、自分が幸せな贅沢を言い出した事が悪かったような気がするのだ。

 ゲルトルートは珍しく暗い表情でため息をつき、椅子から立ち上がる気力すらおこらなかった。

 もうすぐ、夕飯の時間である。
 夕飯に間に合いそうにないときは、ハインツは必ず、二時間前までには連絡の鳥を送ってくれていた。
 今日は、それすらない。

 つまり、夕飯に帰ってこられないということなのだろうが、この数十年、一回もなかったことである。
 それだけ、捜査本部はごった返しているのだろう。
 この上、夫に危険な事でも起こったら……。

 夫にもしもという妄想が頭につきまとって離れず、ゲルトルートは、辛かった。
 それもこれも、お前が帝国学院にこだわりすぎたからだと、見知らぬ誰かに責められる想像さえした。

「お養母さま……?」
 そのとき、一階の食堂近くの居間の方へ、引きこもりのはずのエリーゼが現れた。
 さすがに、びっくりしてゲルトルートは彼女の方を振り返った。
 ずっと、うつむいて考え込んでいたのに。

 いつも自分の部屋にこもりきりで、一歩も外に出てこないエリーゼが、どうして、居間まで降りてきたのだろう。

「お養母さま、お養父さまは、今日は帰ってこられないんですか?」
 エリーゼは何かを敏感に感じ取っているようだ、と、ゲルトルートは察した。
 ハインツが、エリーゼに自分の今回の仕事はまだ言ってくれるなと伝えている。機密を守るためと、エリーゼへの刺激を考えてのことだ。

 夫の判断に文句をつける気はなく、ゲルトルートは作り笑いでエリーゼに向かった。
「そうね、今日はちょっと遅いようね。おなかがすいたの、エリーゼ?」
「いえ……」
 エリーゼは首を左右に振り、そろそろと、遠慮がちな足取りで、ゲルトルートの方に近づいてきた。

 歩み寄りが難しい娘だったが、ハインツに危機が近づいたように感じているのだろう、そのせいで、おずおずと、ゲルトルートに話しかけてくるようだ。

「お養父様は、何故、昨日も今日も……遅くに出かけたり、早くに出かけたり、なさるのですか……?」
「お仕事よ。帝都だと、お仕事はやっぱり忙しいのよ」
 ゲルトルートは余裕の笑みでごまかした。

 エリーゼは小首を傾げている。
 40歳を越したゲルトルートからしてみれば、まだまだ幼い養女だ。彼女の養父ハインツが、彼女が暴走したせいで、捜査本部で責任を担っているなどと、言いたくはなかった。
 もっとやんわりとした言い方をすることは、確かに出来る。
 だが、この繊細で聡い少女は、ちょっとした情報から全てを嗅ぎつけてしまうかもしれない。
 そうしたら、次々に思考を先回りさせて、一人で胸を痛めてしまうのではないか--?

「お養父様の、帝都でのお仕事は、弾正台……ですよね」
 やはり、エリーゼは、顔を伏せるようにしながら、ゲルトルートにそう尋ねた。控えめな声だった。

「そうよ」
 それは、養女を引き取る時に説明してあった事なので、ごまかしようがない。ゲルトルートは最小限の言葉で肯定するしかなかった。

「…………」
 繰り返してきたが、弾正台は警察機構だ。
 警察機構という事は、要人に限らず暗殺事件や殺人未遂を取り締まり、調査するところだ。
 地方貴族のハインツが、帝都の弾正台にやたらに引っ張られている理由を、エリーゼはうっすらと勘づいている事に、ゲルトルートは気がついた。
 無論、暗殺未遂事件の捜査本部を任せられた事などまでは、わからないだろうが……。

「お養父様は確かに遅いわね。そうね、エリーゼ……」
 ゲルトルートは目を閉じて深呼吸をした後、いつもよりやや老け込んだ、それでもゆっくりしたいい声で話し始めた。

「何故か、今日は夕飯には戻られないようね。私たちだけで夕飯なんて、寂しいかしら?」
「いいえ、お養母さま」
 エリーゼはそこははっきりと返事をした。

「私、お養父様が帰ってくるまで待てます。そんなに、空腹じゃありません」
「そう……」
 ゲルトルート自身、昼から何も、それこそ紅茶一杯、腹に入れてないのだが、エリーゼ同様、空腹を感じていなかった。
 それで、ゲルトルートは、身振り手振りで、エリーゼに隣の椅子に座るように促した。
 いつもなら、暗い空気で、逃げてしまうエリーゼだったが、今はよっぽど、ゲルトルート達の事が気になるらしく、大人しい可憐な仕草で、ちょこんと隣の椅子に座り、じっとこちらの方を見た。

「お養父様は、どうしてるのかしらね。いつもなら、夕飯時の二時間前には、私に伝書鳩をくれるのよ。夕飯に間に合う日も間に合わない日も。結婚して以来、ずっと……」

「今日は、伝書鳩は来なかったのですか?」
 言ってしまってから、エリーゼはしまったと思ったらしく、息をのんで顔を伏せてしまった。

 なぜなら、ゲルトルートが、何の返事もしなかったからだ。

 しばらく、黙っていたゲルトルートだったが、やがてまた、ゆっくりした調子で話し始めた。
「あなたもね、エリーゼ。夕飯の時間に間に合うか間に合わないか、必ず連絡をくれる男性と結婚した方がいいわね。その方が、ご飯を無駄にしなくていいし、時間も無駄にならないからね」
「……はい」

「あとは、私は軍人と結婚したんだけれど……この国では、貴族は軍人と同じ意味だけど……それもよりけりよ。貴族の中には文官もいるし、司祭もいるわ。私は、軍人と結婚出来て、とてもスリルがあって面白い人生だったけど、エリーゼには合わないかもね。あなたは部屋で本を読んでいる方が好きだから……」
「はい、いえ……はい」
 エリーゼは曖昧な言葉を繰り返して、相づちとも言えない相づちになってしまい、自分で変な顔になった。

「だけどね、軍人、騎士は面白いわよ。あんな気のいい楽しい人はいないわ」
 ゲルトルートはそこだけは断言した。
「…………」
 常に部屋に引きこもっているエリーゼは、二人のつながりの事がよくわからないので、ただ黙ってしまうしかない。

「後は、夫にするのなら、健康に越した事はないけれど、どれか一カ所、持病を持っている方がいいわよ」
「え……なんでですか?」

「自分で体に気をつけるし、定期的に医者にかかってくれるから、逆に健康になるのよ。そのほかにも、病人やけが人へ、痛みへの想像力が出来るから、優しく出来るようになるの」
「へえ……」
 持病が一個ある方が、かえって健康で優しくなるなんて、初めて聞いたエリーゼだった。

「ハインツは、肝臓がちょっとだけ悪くてね、そのせいか少し怒りっぽい所があるんだけど、それを自分で知ってるからいいの。そうねえ、驕りじゃない意味で、自分をよく知ってる男の方がいいわね……なんにせよ」

「……?」
 自分をよく知っていれば、驕りはないはずじゃないだろうか? と、エリーゼはまた首を傾げた。
 驕っているのに自分を知っているってなんなんだ??

「考えてみれば、女だって、自分を知っているのに越した事はないわね。その方が自分の美しさを魅力的にアピール出来るんだから」
「……はい」
 そういうことはあるだろうな、と、エリーゼは頷いた。
 自分の事を知らなければ、自分の武器がなんなのかもわからないだろう。

「そうね……まだあなたには早すぎたかもしれないわね。だけど、婿取りは、面白いわよ。色々な男の事を考えるのは、女の事を考える事につながるわ。私はいい婿に巡り会えたから……エリーゼも、私かそれ以上によい婿取りを出来るといいわね。私がそうさせてあげなきゃね」

「…………はい」
 聞こえるか聞こえないかの小さい声で、エリーゼはそう返事をした。
 ゲルトルートと話せたことは、エリーゼにとってもよいことだと思った。ハインツとゲルトルートの事が心配すぎて、近寄ってきたのだが、面白い話を聞けたと思う。
 思いたい。

(私って、そういう婿取りしなきゃいけないんだ……そうなんだ。それが恩返しになるのね、きっと)

 何しろ元が伯爵家の一人娘。現在侯爵家の養女。
 子どもの頃から、貴族の一人娘として、「よい婿を取って、御家存続、子孫繁栄は必須」とすり込まれていたのである。ゲルトルートから不意打ちのように、「こんな婿がいい」という話を聞いたエリーゼは、ゲルトルートも、当然のこと、自分に理想のよい婿を取って、家を安泰に導いて欲しいのだと、思い知った。
 自分が子どもを産むための駒だとか、そこまでは思わない。だが--。

 侯爵家の養女となって、婿も連れてこられないなんて、そんなわけにはいかないだろう。
 エリーゼは、自分が、アンハルト家の令嬢として、何がなんでも何がなんでも、ハインツやゲルトルートのために、よい婿を連れてこなければならないのだと、強烈に思い込んだのだった。

あとがきなど
読んでいただきありがとうございます。
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