メール・メイト
メール・ラヴィング・メイト
いつもの土日。
アキナは、スマホを操作して、ネットでショッピングをしていた。インターネット上にある、フリマのようなサイトで、気の赴くままに検索を絞り込む。
欲しい品が割引で買えるし、見るだけならいくらでもタダだ。気分よく様々な品を見ていて、アキナは、ふと懐かしい品に気がついた。
『メール・コンパニオン・アニマル』
可愛い猫がアイコンの、大昔に一世を風靡したメールソフトだった。今時、メールソフトを購入して、ネットでメールをする人間は少ないだろう。特に、メール・コンパニオン・アニマルは、リアルタイムで販売当初から、ウイルスを吸い込むという噂が流れたため、購入した後、手放す人も多かった。
だが、アキナは、メール・コンパニオン・アニマルで、当時、様々な人間にメールを送って楽しんでいた。そのことを思い出し、ゆっくりと、深呼吸をした。
楽しい思い出もあったが、疲れる思い出も多かった。メールって、便利だけど、そのぶん……炎上を起こしやすいって、本当だと思う。
「アキナ? どうしたんだ、溜息なんてついて」
アキナの夫のマコトが、不思議そうな顔をして、スマホを見て溜息をついている妻を見つめた。
「うん、なんでもない……」
「なんでもないって顔じゃないぞ」
そう言われて、アキナは、昔の事を話す事にした。
「ねえ、聞いていてもういいって思ったら、そう言ってね。やめるから」
そう断ってから、アキナはおもむろに話し始めた。
昔、アキナの友達に、サナエという女子がいた。大学が同じで、当時はよくリアルでも遊びに出かけていた。パソコンを買った時、アキナはその彼女から、メールソフトを紹介された。メール・コンパニオン・アニマルである。
パソコンを買ったからといって、すぐにインターネットに手を出した訳ではない。当時はそういう時代だった。光回線やWi-Fiどころか、ADSLやISDNでさえ、通ってないところには通っていなかったのである。
だが、アキナはサナエに是非にと言われて、メール・コンパニオン・アニマルを始めたのである。そのソフトでは、可愛い「メールペット」と呼ばれる電子画像の動物がいる。7匹ほどいる動物の中から一匹を選び、自分のペットとして、ネット上でかわいがる事が出来るのだ。アキナはそれにもひかれた。アキナは前から猫が欲しかったが、当時同居していた家族が嫌がるので飼えなかったのだ。
アキナはメールソフトを自力で苦労しながら設定し、メールペットには猫を選んで、ミウと名付けて送信した。
程なく、サナエから返信が来た。サナエは可愛い小熊のメールペットを使っていて、名前を「てでぃ」と言った。
てでぃが、手紙を持ってきて、開封してくれる動作を見せてくれた時、アキナは少なからず感激し、大喜びでメール遊びにはまっていった。
アキナは毎日のように、サナエにメールをし、愚痴や相談事や将来の夢を話しあった。もちろん、テレビなどのメディアや、他愛ない噂話などもした。
しばらくは、順調に進んでいった。だが、時々……リアルで、不審な事が起こり始めた。
なぜか、アキナは嫌われ始めたのである。なぜか、周りの友人から距離を置かれはじめ、時々、遠くからくすくす笑っている様子がわかるようになった。
アキナは訳がわからなかった。
自分が、何かしただろうか? 最近、誰かと喧嘩したわけでも、なんでもないのに……。
ある日、アキナは、それでも付き合いのある女友達のアヤコに、そのことを相談した。
「なんでみんな、私のことを避けてるの? 遠巻きにして笑っている人までいる」
ということを。
アヤコは言った。
「思い当たる事何もないの?」
「ないよ」
「悪口言ったりしてない?」
「悪口って?? 私、友達の悪口とか言ってないよ」
「そう」
アヤコはつっけんどんに言った。
「自覚がないって最悪!」
そう言って、アヤコは、一緒に話していた喫茶店の席を立って帰ろうとした。アキナは慌ててそれを止めた。
「自覚がないってどういうこと?」
そして、アキナは、最悪と言ったアヤコから、それに輪をかけて最悪の展開を聞かされた。
サナエは、アキナからもらったメール・コンパニオン・アニマルのメールを、アヤコたちに無断で転送して、笑いものにしていたのである。
絶句するアキナ。アキナは、アヤコの事も、何度か話題にしていた。
「そういえばアヤコがこの間、なすのグラタンのおいしい店を、知っているって言っていたよ。一緒にいきたいね」
その程度の話だが、それをアキナは、メールで転送しながら編集して
「なすのグラタンの店に連れて行ってくれないってすねているかまってちゃん」というように話を作り替え、アヤコを怒らせるように仕向けているようだった。
「どういうこと?? 転送していいなんて、言ってないよ」
「転送されてもおかしくないようなことを、アキナはサナエにやったんじゃないの? そうでなきゃ、おかしいよ」
だが、アキナは、サナエにそんなことをされる筋合いはなかった。サナエを怒らせるような何かを、知らない間にしていたのだろうか。
それで、アキナは、サナエに、時間を取って夜中に電話をかけてみた。アキナは、サナエにメールをこれ以上送る事は出来ないと思ったのだ。
サナエは電話に出た。
アキナはどういうことか問い詰めた。
「アヤコから、メールを勝手に転送しているって言う話を聞いたんだけど、何が目的でそういうことをするの?」
「やっちゃだめって、言わなかったじゃない。口止めしてないんだから関係ないよ」
「常識的にありえないでしょ。人の手紙を勝手に、人に見せるようなことだよ」
「そんなことない。やっちゃいけないなんてルールはないんだから」
「どうして??」
話は堂々巡りで、なんともいえない感じだった。
それで、アキナはサナエに怒りを感じ始めた。本当に、人のメールを転送してばらまいて、評判や信用を落としておいて、自分ではなんとも思ってないのだろうか?
「いい加減にして! 二度と、人のメールを転送しないで! ルールはなくても、私は二度とそんなことされたくない!!」
「何興奮して怒鳴ってるの? バカじゃないの」
サナエは謝りもしないでこう言った。
「それを言うなら、あんたのメールなんか、みんなもっともっと知ってるんだから」
「どういうこと?」
「アキナってバカだよね。パスワードゆるすぎ」
アキナとサナエは、大学は国文科だった。
特にアキナは、古今和歌集を卒論に選んでいた。そのため、古今和歌集の中で好きな歌の下句をパスワードに入れていたのである。
サナエはそれを今、アキナの前でばらした。
「前に、これが一番好きな歌って言っていたよね」
へらへらと笑いながら言う。
アキナがパスワードをばらした訳ではない。アキナが卒論で研究するぐらい好きだった歌人や和歌の事を知っていて、そこから自分で判断して勝手にパスワードを当てはめただけなのだ。
「パズルみたいで面白かった、パスワードに入れてみたらぴったりだもの。あんたの、私宛以外のメールもみんな見てるよ」
当時、恋人だったマコトとのメールも全部のぞき見していたらしい。
「意識低い、アキナが悪いのよ。アキナ、パスワードの事は、親しい友達に話しちゃった。みんな、あんたの筒抜けのメールボックス見て、たかがメールペットをかわいがっているのを見て、バカみたいって笑ってるのよ。気づくの遅すぎー」
アキナは電話を切った。
息も出来ない怒りを感じていた。
本当に怒りで頭がどうにかなりそうだった。
アキナは怒りのあまり泣き出し、しばらく発作的に身をもみ絞って嗚咽をあげた。
だが、泣いていると次第に頭が冷静になってきた。
「なんで私が泣かなきゃならないの?」
そういう感情が戻ってきたのである。冷静に考えてみると、何も悪い事をしていない自分が、サナエのために号泣しなければならないという意味がわからない。
それで、アキナは、アヤコにもう一度、連絡を取ってみた。
アヤコはすぐに電話に出た。
「こういうことだったんだけど。アヤコ。私本当に、サナエに怒られるようなことをした覚えもないし、サナエは何も言ってこない。怒ってる事があるなら、私に直接言えばいいのに、なぜかそうしないの。むしろ面白がってるみたい」
「面白い?」
「面白半分にやってるんじゃないかな、それでさ」
アキナはアヤコに思わず言ってしまった。
「本当の事はわかんないんだけど、アキナって、人のメールアドレスを見たらパスワード解析したくなる性分なんじゃないの。今は黙っているけど、私だけじゃなく、他のみんなから、メールアドレス教えてもらったら、パスワードを想像して勝手に奪っちゃうのかもしれない。愉快犯かも」
「はぁー!?」
アヤコは声を裏返らせた。
だが、しばらく考え込んだ様子で、やがて言った。
「……なんか気になる事があるかもしんない……」
数日後、アヤコから電話で連絡があった。
当たっていた。
サナエは、アヤコのパスワードも盗んで、勝手にメールボックスをのぞきみし、コソコソ陰口を言っていたようなのである。アヤコの事を、アキナほど話題にしないのは、アヤコが身長175㎝でスポーツ万能、つまりコワイからだったらしい。
あきれた顛末に、アキナは何のコメントもつけようがなかった。
「サナエが言っていたんだけど。好きな物とか尊敬する人とか、当然誰でも連想するようなパスワードを入れるのが悪いんだって。みんな、サナエの前で好きなものや好きなことの話するじゃん? 友達なんだから。それが情報源。みんなのメルアドのパスワードを、好きなものの話から盗んだらしいよ。あいつが言うには、誕生日とか想像しやすい記号の羅列を、パスワードに入れちゃだめって、銀行とかで言ってるじゃないって逆ギレされた。あいつ最悪」
そこでアキナは一気に言った。
誰もパスワードをサナエにばらした訳ではないのだ。サナエが勝手に、パスワードを想像して当てはめて、周りのメールを盗み読みしていたらしい。
「それって、泥棒される方が悪いっていう事で、お前も他人から同じ事されたら同じ事いえるのか! ってこっちが逆ギレに切れ返したら、訴訟とかなんとか、訳わからん事言ってる。サナエとはもう関わらない方がいいよ」
「うん……そうだね」
他になんとも言いようがない。訴訟ってなんのことだ?
何で、サナエの方からアヤコを訴訟するという話になるのだろうか? だがそういうことを耳に入れても仕方ないので、アキナはアヤコに礼を言って電話を切った。
その後、サナエの周りから人がいなくなるのは早かったようだった。
誰も彼女の前では好きなものや好きなこと、尊敬する人の話が出来なくなったからだ。それもあるが、常識的に考えられない事をしたからなのだろう。
そのことを不満に思ったアキナはアヤコに対して本当に訴訟を起こした。アヤコは受けて立ち、二人は民事でも刑事でも泥沼のように争い始めた。とても聞いていられないような状況が続いた。
アキナはアヤコに相談に乗ってもらって、サナエにあらゆる意味で接近禁止を言い渡し、承諾してもらうことにした。
アキナは、サナエには極力関わらないようにして数ヶ月を過ごし、やがて、携帯電話から名前を削除した。そのきっかけは、アヤコの方からアキナとの訴訟に勝ったという話を聞いたからであった。
……そういう話を、アキナはマコトにしたのであった。
日曜の昼下がり。
マコトはしばらく沈黙した後、アキナに言った。
「仲のよかったサナエと、急に連絡取らなくなったようだから気にしていたよ。そんなことがあったのか」
「……もう10年以上も前の話だからね」
その間にアキナとマコトは結婚し、今は共働きで仲良く暮らしている。
「今までそんな話を聞いた事がなかったから、驚いたよ」
「サナエは私とあなたのメールも見ていたから、あなたに教えても、無駄なトラブルが増えるかもしれないと思ったのよ。そのあと、メーラーを取り替えて、パスワードもバイダもかえて、サナエが追いつけないようんしたんだよね。だから、メールは見られた分は仕方ないけど、あれ以降はもう見えていないはず。そういう事に、マコトを巻き込みたくなかったの」
「なるほど……だけどびっくりしたな」
マコトはまだ何か言いたそうだったが、既に10年も前の事だった。
「サナエ、今どうしているんだろうな……」
アキナは思わずそうつぶやいた。そのときに、そうやって失った、社会における信用はなかなか回復しないだろう。だが、そのときにアキナが感じた怒りと悲しみは本物だったのだ。
「会いたいのか?」
「わからない」
アキナはかぶりを振ってそう言った。
「会ってみなきゃわからないけど……会いたいとは思えない。だけど、いつか許せたらいいとは思うわ」
「そうだな。そういうのって、実際本人に会ってみなきゃわからないよな」
マコトもそう言って頷いて、アキナにお茶を入れようかと言った。アキナは頷いた。
それからアキナは、あの頃、サナエに送ったメールの数々を思い出した。愚痴も相談ものろけもあった。噂話もおいしい店の話も、読んだ本や漫画の話もあった。そのほか、将来の夢なども。それを、サナエは、さらしものにして、笑っていたのだ。どういう心境だったのだろう……。
そのことを、マコトにいえるようになるまで10年かかった。そのことについて、アキナは夫に、かすかな罪悪感を覚えた。彼も被害者なのだ。
人の手紙やメールをそんなふうに扱う人間は最低だと思う。
……だが、そういうことをしているとき、サナエは楽しかったんだろう。
だから大勢の人間が、アキナの方を見て陰口を言って笑っていたのだ。
それを見ている時、サナエはきっと幸せだったのだと思う。
つかの間の毒の幸せ。その代償は大きかっただろうけど……。
誰もが、メールについてもネットについても手探りの、ネット黎明期の出来事だった。
教えてくれる人間は少なかった。アキナも、失敗は多かった。
その自分の失敗に免じて、アキナは、サナエを許すべきなのだろうか……。
まだ何もわからない。
人間関係やインターネットの謎と秘密。
そして何より気がかりなのは、せっせとサナエのメールを運んでいた、メールペットのミウだった。
ミウは、どうしているだろうか。サナエのことを、知っていただろうか……。
サナエというよりも、ミウのために。
メールペットとはいえ、自分のために一生懸命、メールを運ぶ仕事をしてくれた、可愛い相棒との思い出のために。それは、サナエのてでぃも同じだ。てでぃとミウは、仲良しだったはず。
アキナは、ネットショッピングサイトの、購入ボタンを押した。
もういちど、『メール・コンパニオン・アニマル』を買う。
……ミウのために。
同じ失敗を二度とは繰り返さないと心に誓って。
note、ニコットタウンにも同じ小説を掲載しています。
読んでいただきありがとうございます。