桜鏡
異界の洋館
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和風の洋館というのは、語の意味としておかしい。
だが、影が抱いた”メレウト”の印象はそれであった。
がっしりした石造りで、いかにも頑丈そうな館で、長い廊下はひんやりと涼しく、窓も重い金属の雨戸が着いている。
だが、調度品や装飾品は、影にはよくわからない昔風のものも多かったが、和風のしつらえになっていた。
明治頃に日本で初めて作られた西洋風の館は、こんな感じだったんだろうかと、高校生の影は考え込む。だが、影は、日本史などの成績は悪くはないが、教科書以上の事に興味を持った事がないので、ぼんやりとそんな印象を抱いたに過ぎなかった。詳しい訳ではない。
その、和風なのか洋風なのかわからない、古めかしい館の廊下を、土足のままずっと歩いて行くと、階段に出た。曲線美に富んだ凝った装飾のついている階段を登って二回に行き、さらに長い廊下を渡って、影は、蓮に、一つの部屋の前に連れてこられた。
「Ladyの部屋だ」
「レイディ?」
「この館の主人だ。尊い方なので、くれぐれも無礼な振る舞いはするな」
そこで初めて影は、Ladyとは淑女、女主人という意味かと気がついて、とりあえずは頷いた。
知らない館とはいえ、そこの主人に、これから公園の場所を教えてくれと言うのに、失礼千万な行動を取る必要は無い。
言われるがままに、頷くと、蓮も、一つうなずき返して、彼を連れて部屋の中に入った。
部屋の中は、やはり、何年前かわからないほど昔風--一言で言うとレトロな設えで、今が令和何年か忘れてしまいそうだった。
「Lady、新入りの者が来ました」
部屋の扉を開けた正面に窓があり、その手前に書き物机が置いてある。その椅子に、やはり何とも言えない衣装を着た女性が座り込み、何ごとか机の上のノートに書き付けていた。
「新入り……?」
眠たげな様子でLadyと呼ばれた女性は振り返ってきた。
ぞっとするような美貌の女だった。
何歳なのか、一目ではわからない。
だが、そのぬめるように白い皮膚と長い黒髪が、どことなく美形のひな人形を思わせた。着ているものも、艶やかな着物で、影にはよく種類もわからなかったが、凄く印象の良い上品さを感じさせるものであった。
影は、Ladyと呼ばれる女性の前で固まってしまった。
着物を日常的に着こなす女性など、影の周りにはいなかった。
「どこで拾ったの、蓮」
Ladyは、一瞬、影のブレザー姿に目をとめた後、隣の蓮を振り返った。
まるで雑種の子犬を運び込まれて、どうしますか? と聞かれた時に困ってしまった親のような態度だと思った。
尤も、これだけ広い館なのだから、拾った子犬の一匹や二匹、人手さえあれば育てられるのだろうが。
「庭の北東の桜の下に倒れてました」
「桜の下」
Ladyの視線が、影の前に戻った。Ladyの黒い瞳が、影の顔を凝視している。
「あ、すみません……俺は、吾田といって、近所の高校の生徒なんですが、道に迷ってしまって。ここは、どこですか?」
恐らく同じ町内だろうという思い込みで、影はLadyに尋ねた。
だが、同じ町内に、こんな巨大な城のような洋館はあっただろうか?
「ここは、どこでもない」
Ladyはあっさりとした調子で答えた。
「それから、お前は、高校の生徒と言ったが、高校には戻れない。道に迷ったらしいが、元の家には帰られない。これを最初に言っておく」
「……え?」
何を言われたのか意味がわからない。
だが続けて、Ladyが言った。
「この迷いの森に囲まれた館からは、誰も出られない。我々は囚われ人だ。この数百年間、迷いの森の外に脱出できた者はいない。皆、逃げようとした者は死んだ」
「……え?」
ますます意味がわからなくなる影。
「わからんか。そうだろうな。お前はもう、この館から出る事は出来ないし、現実世界に帰る事は出来ないと言ったのだ。どうしても、出かけたければ、愛を知れ」
「……愛?」
新しい電波が現れたのかと……本当にそう思った。
電波を刺激すると、ろくなことにはならないだろう。影は、ぽかんとした顔のまま、ただ、Ladyと呼ばれた美しい女が、話は終わったとばかりに、こちらに背を向けたのを見つめていた。
「Lady、彼の名は?」
また、訳のわからないことを、蓮が言った。
そういえば、影は、誰も彼の名前や身の上を気にしない事に気がついた。
何かの犯罪に巻き込まれたのかもしれないが、それにしては、影自身に対して興味が薄すぎる。彼の身の上などは、全て調査済みなのだろうか?
なんだかやばい事になってきたとは、勘づいている。
それもあって、影は黙り込んだ。
(俺の名前は吾田影。……アガタ、ヨウ)
そんなことを考え込みながら。
「名前、そうだな」
Ladyは窓の外をちらりと見やったあとで、影の方を振り返った。
「桜の下から出てきたようだから、桜。お前、これから館の中では、桜と名乗れ」
「……桜」
念のために、影はこう言った。
「俺は、男ですけど。それに、自分の名前もありますが」
「見ればわかる。お前の名は、出来るだけ隠しておけ。自分の身が可愛いならな。ここは、現実世界とは違う。自分の名前は、自分で守れ」
「……」
何がなんだかわからないが、電波だという事だけはよくわかった。
全く、話が通じない。
「俺の名前--」
「こだわるな。お前は今日から桜だ」
蓮がそう言って、軽く「桜」の肩に手を置いた。
なれなれしいと思ったが、相手が電波……何をするかわからない連中だと思った影は、ただ曖昧に頷くにとどめた。
電波というか、キ印は、刺激しないに限ると思ったのだ。
「蓮、その坊やに部屋を与えろ。桜の見える部屋がいいな」
Ladyが、何ごとか考え込む仕草でそう言った。
「桜、お前はこの館で、一週間は客人として扱われる。その後は、館で暮らす一人として、役割を与えられる。仕事は真面目にやるように」
「し、仕事!?」
影は、高校生……高校二年生である。
その自分が、何故、この館に一週間以上も滞在して、働かされるハメになるのか?
さっぱり意味がわからなかった。
だが、その電波女の忠実な部下であるらしい、電波男が肩に手を置いて離れないため、その場はやはり、曖昧に頷いてやり過ごした。
いよいよ話がおかしくなってきた。
この電波達は何が目的だ。
何で彼の名前が「桜」という女名前になったのかもわからないが、何で自分が公園からこの館に拉致されたのかもわからない。彼にしてみれば、拉致である。
(まさか俺の親の事を……いや、そんなことを知っていたからといって……いや、身代金か何かか……金が目的か?)
影は室内の凝った調度品を見回して、嘆いた。
(とても、金に困っているように見えない。それなら、何なんだ? この電波達の目的は!!)
暴れようかと思ったが、2対1だし、キ印は何を武器にするかわからない。ここは、隙を見てこっそり抜け出そうと思い、電波達の前では無表情でやり過ごす事にした。
影は、かつてない苛立ちと緊張を感じながら、蓮と呼ばれた男とともに、Ladyの部屋を出た。
「夕飯には呼ぶ、それまでここで待っているように」
蓮言われて、影は、「桜の見える部屋」に通された。
それは、二階の六畳間程度の部屋で、生活に必要な調度品は全てそろっているようだった。
窓の方に近づくと、先ほどの北東の桜とは違う、桜並木が階下に見えた。
繚乱と花開く桜が、夕暮れの光を浴びながらたたずんでいる。
ここがどこなのかはわからないが、既に、紫色の闇が忍び寄る時間帯である事は確かだ。
(あのレンって呼ばれている男は……何者だろう。それ以前に、館の女主人が妖しすぎる……どうやって、ここを抜け出すか……)
ここがどこなのかわからないが、影の家は午後七時が門限だ。それを破ればまた面倒くさい事になる。
父親は、影に親切だった試しはない。
彼は、高校に学生鞄を置きっぱなしにして、近所の公園に抜け出していた。スマホは机の中だ。
とりあえず、時刻を確かめるために、部屋の中の時計を探す。
壁時計を見れば、18:00前。
19;00までに自分の家に帰らなければ、今度は父にどんな折檻をされるかわからない。不安に駆られた影は、そっと、与えられた部屋の外に出て、玄関の方角を探し始めた。あるいは、電話。
今時は、家に備え付けの電話がない家庭も多いが、これだけ巨大ないかめしい館となると、電話の一台ぐらいありそうな気がする。それで、実家か、友達に救援を求めればいい。
そういうわけで、影は、既に元来た道はよくわからなくなっていたが、電話か出口を求めて廊下を歩き回り始めた。
「……誰?」
そのとき、背後から話しかけられ、影は飛び上がらんばかりに驚いた。
振り返ると、通り過ぎた廊下の横のドアから、体を半分だけ見せている男がいる。
心臓をバクバクさせながら観察すると、彼もまた着物だった。
着物の下にシャツを着て、それこそ、戦前の書生のようなスタイルをしている。眼鏡をかけて長目の髪をシンプルに一つに束ねている。そのせいか、わりあい常識的で賢そうに見えた。
「誰って、その、俺は……」
桜と名乗れと言われた事を思い出し、影は柄にもなく口ごもった。
それに、相手が誰かわからあない。本名を名乗って、また、電波の相手だったらどうしよう。
「蓮が、さっき、新入りが来たって言っていたけど、君か?」
「……そうです」
新入りじゃないんだが、と言うような事を言うのはやめておいた。
「もうすぐ夕飯の時間だけど、どこにいくところ? あ、ひょっとして、トイレの場所がわからない?」
「えっと……」
書生姿の青年は、ドアのところから出てきて、親しげに影に話しかけてきた。
どうやら新入りと思って、親切に世話を焼こうとしているらしい。本当にそんな態度だ。
「あ、はい。電話、ありませんか?」
「……電話?」
書生姿の青年は、困惑の表情となった。
それを見て、影は色々な事を考えた。この青年はもしかして、電波じゃないかもしれないが、電波に脅されてここにいるのではないかとか、親しみやすそうにしているが、結局電波なのかもしれないとか、電話があったら困る何かの理由があるだろうと、色々色々、瞬間的に想像した。
だが、その影の全ての予測を裏切って、書生姿の青年はこう言った。
「君は、何時代の人?」
「……は?」
「電話を発明したのはエジソンとベルだけど、電話が、日本に広まって以降の時代の人なんだね?」
「……」
「だよね。日本語を流ちょうに喋っているもんね。だけど、たまに、日本語を喋られる異人さんもいるから……一応、聞くけど、電話があるのが普通の時代の日本からこっちに来たんだね? それぐらいの情報なら、交換してもいいんだよ」
「……」
「いや、もちろん、プライバシーとか個人主義とか色々あるんだけど。電話が普通に家庭にある時代って言ったら……昭和かなあ? 昭和は長かったよね。君、昭和?」
「令和ですけど……」
やっとのことで、影はそう答えた。
蓮もLadyも立派な電波だったが、この書生青年はその遙か上を行く極上の電波に見えた。だが電波は、にこにこと、そりゃあもう親切ごかしの笑顔で、影の方に接近してくる。
影は、大声を立てて逃げようかと思ったが、大声を聞きつけて出てくる人間がまた電波だった場合を考えて、引きつり笑いを浮かべながら、とにかく黙って頷いた。
「ごめんねえ。この館って、あ、この館、メレウトっていうんだけど、電話はないんだよ。僕はあってもいいと思うんだけど。Ladyの趣味で。あ、ほら、Ladyって、南北朝時代の人だからー」
「……はい?」
「あ、聞いてなかった? Ladyって南北朝時代の女性なんだよね。そうだね、すると、令和の君と、年齢差は少なく見積もっても630歳かー」
「……………………」
もう何も言えない影だった。
南北朝?
年の差630歳?
一体、何の話だ。
南北朝時代で電話がどうしたって?
「南北朝時代の人だから、呪術や妖術には凄く強いんだけど、かわりに機械に弱くてね。僕は、電話があったほうが、行商人とかにも連絡取りやすくていいと思うんだけど、Ladyは電話もだめなんだよ。他にも、色々と便利な道具が令和だったらあふれてるだろ? だけどLadyや、牡丹や蓮が認めないとメレウトの中に入れられないんだよねー」
「…………」
「あ、牡丹とかにはまだ会ってない?」
「あ、はあ……」
牡丹って、誰だ。
確かに、それはあった。
「牡丹は優しくていい人だけど、礼儀正しくしてね。南北朝時代ほどじゃないだろうけど、年上は目上ってタイプだから。だから、Ladyとかには行儀よくしないとダメだよ」
「……630歳年上は、確かに目上ですね……」
他に突っ込みようもなくて、影はそう相づちをかえした。あんまり黙っていると、それはそれで刺激するかと思ったのだ。
電波だ。凄い電波だ。
だが、確かに、電話はないらしい。欲しいのは電波じゃなくて電話なのに!!
「そうだよー。牡丹も、えーと、令和から計算すると、何歳だ。確か、明徳の和約の頃の人間って話だからー」
満面の笑みで、書生は、見知らぬ牡丹という人間の事をこう言った。
「627歳は年上かな。でもいい人だから、仲良くしてあげてね!」
630歳年上と、627歳年上と、どう違うんだろうか。
だが、やはり、女性にとっては三歳差は違うんだろうか?
627歳……。
牡丹という名前からして女性だろうと思って、影は取り扱いは慎重にしようと思った……。600歳越えても、オンナはオンナ。1歳でも若く見られたいのかもしれない……。
電波なんだろうな……。
「はい……」
相手が返事を待っている空気だったので、影はやむを得ずそう答えた。
すると、書生は嬉しそうに笑って、影の隣に立った。
「あ、言い忘れたけど、僕の名前は百合。通称だけどね。百合って呼び捨てにしてくれていいよ」
「……何歳差なんですか?」
相手は電波だと思いながらも、話を合わせて、影はそう聞いてみた。
「うん。そうだね」
少し考えてから百合と名乗る青年はこう言った。
「110歳ぐらいかな?」
真顔で彼はそう言った。
(俺がしたいのは110番であって、お前の年齢詐称を聞きたい訳じゃないんだが、と突っかかったら、電波が暴れるんだろうな……)
そろそろ影はそんな考えに至ったのであった。
とりあえず、目の前の百合は、書生姿な事もあるためか、多めに見積もっても二十代後半、少なく見積もって二十代前半に見えた。
読んでいただきありがとうございます。