桜鏡
もしも新興宗教団体ならば、一緒に飯を食うのは、何らかの戒律など、嫌な意味があるかもしれない。盆にのせられた夕飯を見て、影は緊張した。
困った事に、夕飯はうまそうだった。
献立はごく普通のおばんざいだ。
かぼちゃと豚肉を他の野菜と甘辛く煮込んだもの、桜えびの入った青菜のおひたし、旬の浅漬けと、豆腐の味噌汁に豆ごはん。
それだけなのに、何が違うのかわからない。盛り付けがいいのか、腕がいいのか、恐らく双方なのだろう。
本当に、古風で高級なレストランの出す食事のように彩りがよく、匂いもよく、喉が鳴るほどうまそうに見えた。
正直、高校で昼休みにパンと牛乳を食べただけの影は、見ただけで空腹を感じて仕方なかった。
「食べないのか? 瑠璃の料理は、美味しいよ」
瑠璃が盆に乗せて影に差し出した食事。勢いに乗せられて思わず盆を取ってしまった後、百合がやや強引に食堂の席まで影を連れてきてしまったのだ。
影は食べない方がいいんじゃないかと思ったが、その理由を百合には言いづらい。
(宗教団体じゃなくて、犯罪組織でも、妙なルールがたくさんありそうだし、ここで一緒に飯を食うのは、何か宗教的儀礼になるんじゃ……だけど、腹は減ってるし、食べなきゃ食べないで変に思われるだろう。どうすりゃあいいんだ)
そういうことが気がかりになるぐらい、Ladyをはじめとするこのメレウトの住民の行動は変だった。
「あー……腹減った!!」
そのとき。
ただでさえ不安でならず、あらゆる意味で食事も喉を通らない影に、決定打が起こった。
夕飯時の食堂に、また別の男が入ってきたのである。
血しぶき浴びて。
「!?」
戸口で、血まみれの白刃を持ったまま、ふらふら入ってきたまた別の美青年を見て、影は飛び上がらんばかりに驚いた。
返り血だと思うが、上半身に生臭い血を浴びた、これまた時代劇に出てきそうな服装の若い男が、……かなり絢爛たる衣装ではあったが……彼が、何故か闊達な笑顔でこっちに、何でか抜き身の刀のまま寄ってくる。
正確には、瑠璃の料理の方に寄ってくる。
「桂! 刀をしまえ!!」
瑠璃は、自分の方に血まみれで寄ってくる若い美青年に対して、慌てたように声を荒げた。
「ああ、すまんすまん。刀の手入れが面倒で……」
|桂と呼ばれた青年は、刀を腰の鞘にしまうと、また明るい笑顔を瑠璃の方に向けた。
「瑠璃、今日の夕飯はなんだ?」
「いつもと同じようなもんだ。今用意するからとっとと喰って、刀の手入れと掃除洗濯をしろ! 何を考えているんだお前は」
瑠璃は叱る事は叱っているが、気を悪くしている様子はない。むしろ、日常の小言のようだった。
百合の方も平然として桂の事を気にせず、もぐもぐ瑠璃の料理を食べている。
影だけが唖然として、鞘に刀を納めたあと、瑠璃からご飯を貰って隣の席に着く桂の様子を見ていた。
「ん? お前誰だ。……俺の顔に何かついているか?」
桂は、見かけない高校生が、呆然として自分の姿に見入っているのに気がついて、割り箸を開きながらそう言った。
よくよくみると変なところはもっとある。何故か白髪だし、昔の人間ではなく今の男性としてもかなり大柄だ。精悍な顔立ちで鮮やかな印象を残すが……。
ちなみに顔には血糊がついている。
それを言おうとして影は、言葉が出ず、とりあえず血糊を指さそうかと思ったが、それも出来ず、硬直していた。
そのとき、百合が、自分のテーブルのティッシュペーパーを、桂の方に放った。
「桂、顔が汚れてるよ。食べる前に拭いた方がいい。桜が驚いているじゃないか」
「桜? 桜っていうのか、そいつ。新入りか?」
桂は影の方を見た。影はぎこちなく頷いた。もう抵抗する気力がない。
「うん。そうだよ。桂、ご飯食べる時ぐらい物騒な様子はしないでっていつも言ってるのに」
そこは百合に同意する影。
「仕方ねえだろ、異形が出たら斬るのが俺の仕事だし、斬ったら血しぶきぐらい浴びちまうんだから」
異形とは何の事かわからないが、桂は異形というものを斬ってきたらしい。
人間かどうかはわからないが、赤い血を流す生物相手ということはよくわかる。
……映画の撮影でもない限り。犯罪組織が映画撮影しているのか??
「ご飯食べる前にお風呂入ってきてよ」
「腹減ってるんだよ。異形から守ってやってんだから、文句言うな」
桂と百合はかなり仲が良いらしい。
話ながらも桂は堂々と、食事を始めている。かなりの大食いであることは予想出来るが、その通り、実に健康で健啖な食べ方だ。不思議に下品な様子はまるでないが。基本的に行儀作法が整っているからであろう。
「どうした、お前。食べないのか。料理が冷めちまうぞ。早く喰え」
桂と百合を見比べている影に、桂がそう言った。
「お腹すいてないの?」
百合もそんなふうに気にしてくる。
とりあえず、影は、不安点は様々あったが、帯刀している血まみれの侍が気にしているので、飯を食う事にした。ここでいきなりキレさせて、自分が斬られちゃ意味がない。
「異形と戦ってきたんだねー。今度はどんな奴?」
「まあな。後でLadyに報告にいってくるが、結構しぶとい奴だったんで、腹が減ってかなわねーわ」
そんな会話を聞きながら、生きた心地もせず箸を取って夕飯を開始する影。
(あ、……うまい)
まず、まだ暖かい味噌汁に口をつけてみて、はっきりと感じた。こんな状況でも味がわかる。……美味しいのだ。ちゃんと出汁から取った味噌汁が。影は、何の出汁かはわからなかったが、それが、丁寧に基本に則って作られただろう味噌汁の事は、わかった。
気がついた時は、味と匂いに負けて、影は瑠璃の作った夕飯を完食していたのだった。
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