桜鏡
おかしい。どう考えてもおかしい、このメレウトと言う館は。
食事後、影は桂と百合に付き添われて、与えられた自分の部屋まで送り届けられた。桂は、百合の部屋に連れ立って入っていったようだった。そんな気配がする。
影は腹は満たされたが不安でならず、焦燥した気分で、しつらえられたベッドの上に座って考えこんだ。
既に家の門限の時間は過ぎている。今から帰っても、父にどんな叱責を受けるかわかったものではない。それだけでも、不安なのだが、このメレウトという館は、なんなんだ。
いずれ、電話を探して、友達の携帯に電話をかけて、そこから警察に通報してもらって逆探知……などと、影は考えた。
先ほどの、桂の持っている刀の事である。
どう考えたって銃刀法違反だろう。しかも刀を振り回して生物を斬っているのだ。そのことを、警察に言えば、自分は保護してもらえるかもしれない。そう思って、再び電話を探したくなる。
百合は、メレウトには電話はないと言っていたが、まさかこの令和時代にそんなことはないだろう。
もしも、電話や携帯が一切ない生活をこの人数で行っているという事は。
(……どう考えたってカルト宗教団体だ)
カルトならカルトで、いきなり拉致されて監禁されたようなものなのだから、それも警察に通報するべきだろう。
何が何やらわからないが、自分はカルト宗教団体に、拉致されたんじゃないかと、影はそういうふうに考えを固め始めた。
自分が住んでいた街に、そんな団体があったとは知らなかったが……。実際に遭遇したんだから、その団体は実在するのだ。
屋敷内で電話をこっそり探すか、もしくは付近の住民に、助けを求めて電話を探し出そう。影はそう考えを決め、ベッドから起ち上がろうとした。
そのとき、部屋のドアが数回、ノックされた。
「……誰だ?」
思わず低い声が出た。影は、ノックした相手を誰何した。
「牡丹だ。入っていいかな?」
牡丹。
百合の言っていた、六百歳以上年上の存在だ。
案に相違して、牡丹は男の声だった。涼やかで、やはり理知的な感じがする。
「……はい」
入るなと言った所で意味はないだろう。ここは圧倒的なアウェーだ。
ホームに住んでいる住民に、入るなと言ったところで入ってくるかもしれない。そう思って、影は牡丹を部屋の中に入れた。
牡丹は、百合にやや似ている、やはり目鼻立ちのよい眼鏡の青年だった。
明るい色の背中まである長い髪を首の辺りで一つにまとめている。インテリがかった銀縁眼鏡。眼光は鋭く、上品な口元をしている。桂とはまた別な意味で、印象に残る綺麗な男だった。動きやすい作務衣を身にまとっている。
(顔で選んでいるのか、あのLadyと呼ばれた女性は……?)
影は思わず、そんなことを考えたほどだった。
そして、牡丹が手にしている打ち刀を見て息を飲んだ。
牡丹も、れっきとした……時代劇でしか見た事のない刀を、その右手に握りしめていたのだ。
いよいよ殺されるかもしれない。斬られるかもしれない、そう思って身構えた影に、牡丹は優しく微笑みかけてきた。
「そう緊張しないで。今日、異形が出たというから、君に武器を与えに来たんだよ」
「……は?」
「異形は、魔物だからね。人間の常識の外にある存在だから。どこから襲ってくるかわからないんだ。メレウトにいる以上、自分の身は自分で守る義務がある。だからといって、新入りに素手のすっぴんで戦わせる訳にもいかないだろう? だから、はい。刀」
「……」
相変わらずの電波話だ。
影はどこから突っ込めばいいのかわからない。
「刀の使い方はわかるか?」
高校では、体育の時間に剣道が必須である。高校の体育の剣道で、異形と呼ばれる怪物らしきものと、戦えというのか?
影は何とも答えようがなかった。
黙っている影に、牡丹は強引に打ち刀を持たせた。
「絶対、必要になるものだから。持たせておくよ。しばらくは、メレウトの生活に慣れないかもしれないけれど、頑張って」
「頑張るって、何を」
やっとの思いで影はそう答えた。
すると、牡丹はその鋭い問いに苦笑いを浮かべた。
「それは、現世、自分の現実に返りたいっていうことだよね。僕だってそうだよ」
「……」
「それは、Ladyの言う、本当の愛を知る事で、館から出る事が出来る。誰かを本気で好きになって、一生懸命愛するしかないんだ。俺たちは。その本当の愛というのがなんなのか、わからないから、Ladyも俺も、|蓮《レン》も|瑠璃《ルリ》も桂も百合も悩んでいる。自分の現実に返る事が出来なくてね……」
「何を言っているのか、わからない」
語気荒く、影はそう答えた。
「そうだろうね。だけど、悪いんだけど今の状態が君の現実なんだ。異形はいつ襲ってくるかわからない。異形に殺されたら、それこそつまらないだろう。だから、武器を取って戦うしかない。君にはその権利があるし、俺たちは君に死んで欲しくはない、そういうことだよ」
牡丹はそう言ったし、その口ぶりに熱心なものはなかったが、何故か真実味はあった。彼は本気でそう思い、影の身を案じて、打ち刀を与えたのだ。
ここは一体どこで、今は一体何時代なのだ。
作務衣の青年に、影は聞こうと思ったが、牡丹はただ笑って、こう告げた。
「メレウトの現実、というか、現状を理解するのには時間がかかるよ。一週間ぐらいかな。そうすれば、ここの生活の事もわかってくる。俺たちは最早、呪われた存在なんだ」
「呪われたって、何に?」
「神にだよ」
それ以外ないだろう、と、いわんばかりの口ぶりで、牡丹は影に答えた。
影は、またしても唖然として声が出なかった。神に? 神とは、何の神だ?
もしそれが本当ならば、自分は家に帰る事が出来るのか?
その影の絶望した表情を見たのか、牡丹は軽く言い直した。
「もしくは愛に、かな。神とは愛だっていう説明書も、どこかにあったからね」
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