目次

ISEKI

CategoryA
今星
悪か?

GENNDAI

CategoryB
メールメイト
短編

OT0NA

CategoryC
BL

序章

可愛いシンデレラは”作る”のか”なる”のか?

「さて、ここで問題です」

 ある放課後、王立学院の昼下がり、アメリア・グラントは従姉のオリヴィア・グラントを振り向いて言った。

 手にはこのクインドルガ王国において、貴族の必修課題とされる心理学の分厚いテキストが握られていた。

 アメリア--通称メルは、いっそ嗜虐的なほどのギラつく笑いをオリヴィアに見せて、繰り返した。

「問題出すぞ、さっさと応えろよ」

「いやです」

 同じベンチの右側に座るオリヴィアの方は、庭園の花壇にある花々の方を凝視しながらすげなくそう応えた。

 問答無用で、アメリアはオリヴィアの後ろ頭をどついた。

 ごんっ

「あ・ん・た・ね!! リヴィ!! 先週、必修課題一個落としたって先生に怒られたばっかじゃないの!! この私が、あんたの事を子どもの頃から鍛えてやったっていうのに!! それでなんでそうなのよ!! おさらいもつきあってあげるって言ってるんだから、さっさとしなさい!!」

「え~……」

 いかにもかったるそうな顔で振り返り、オリヴィアはアメリアを振り返り、分厚いテキストを見やり、ため息をついた。

「なんなの!? 必修課題を見事落っことすって!! 悪役令嬢にあるまじき振る舞いなんですけども、あんた破滅ルートたどりたいの!? あんたが破滅したら、”お取り巻き”固定の私も煽りを食って破滅するんですが!? 破滅したきゃ一人で、やれ!!」

「ちょっとお、そんなデカイ事で言う事? ここがゲーム世界だって無自覚な人間が聞いたらどうかと思うよ、彩芽あやめのセリフ」

 アメリアは即座にオリヴィアに襲いかかり、左手で首を絞めながら、右手で口を塞いだ。

「今なんて言った~……リヴィ……お前ね、本当に、あんまりふざけていると、絞め殺すぞ!」

(立派な脅迫じゃないの。どこの令嬢なんだこの男爵令嬢……)

 お前の従妹で血縁で取り巻きだよ、すっとぼけんなと全力でツッコミが入ってくるので、それは敢えて言わない。言わなくても口ふさがれているし。

 妙に冷静にそんな事を考えながら、リヴィはメルの今にも蛇のようにシューシュー舌を出し入れしそうな表情を見ながら、はらはらと涙を落とした。

 真珠のように。

 見た目は一応、公爵令嬢としておかしくないように取り繕っているため、大変に、美しい事は美しい。

 しかし、ケバかった。なんと言っても、ケバかった。公爵令嬢でありながら高級娼婦のようであるというゲーム内常套句にある通り、彼女はお水っぽいケバケバしい美しさで整えられていた。

 地位に伴って名声も高いため、非常に聞き苦しくも居づらい評判も立っていた。別に何もしてないのに。

 そして最大の味方である従妹で前世(現代日本)の友達であるメル(倉橋くらはし彩芽あやめ)から、単位一個落っことしただけで蛇女のような形相で、首を絞められ脅迫されているわけである。

 涙の一粒も落ちようと言うものだ。

(なんでこんな事になってんのよ)

 単位のために勉強するのはやぶさかではないんだが、この異常なハードモードについてはもの申したくて仕方の無いオリヴィア・グラント。現代日本名、米田よねだ菜月なつきであった。

 なんでこんな事になっているのかというと、要点をかいつまんで言えば、大学の入学式でバスが突っ込んで来て事故に遭遇。

 そのとき一緒にいた友人とともに乙女ゲーム「憧れのクインドルガ」に転生したのは良かったが、配役の方面に、ちょっと問題があった。

 その際に、乙女ゲーム&ネット小説(悪役令嬢ものばっかり)至上主義の彩芽の方が、当該悪役令嬢であるオリヴィアに転生すれば何も問題がなかった。

 そのはずなのに、問題が起こった。

 何の手違いだったのか、それまでゲームはスマホの落ちゲー程度しかやった事ありませんという菜月の方が悪役令嬢になってしまったのである。

 全くどこでどんな人選ミスがあったのか計り知れない。

 そして、彩芽の方が、血縁で取り巻きのアメリアの方に転生し、当然ながらここがゲーム世界であるという事に気がつくのも早かった。

 ここがゲームだよと気がついた彩芽は、一瞬だけは狂喜乱舞したが、即座にヤバイということに気がついた。

 菜月は乙女ゲームも悪役令嬢も触った事がないのである。そういうものがあるらしいという事は世間の評判で知っているんだが、何の興味もないようであった。

 恐らく菜月は、ゲームの定石も何も知らない訳だから、地雷を踏んで歩くか必須イベントを全て回避するかという、それもまた悪役令嬢の定石を踏むだろうが、それが全て無意識であった場合、今度はどんなバス事故が起こるか分かったもんじゃない。

 大慌てでアメリアは自分の肩に見えないカタパルトをつけ、大昔の野球のギプスをつける勢いでステータス上げに励み、それにオリヴィアを巻き込んだ。

 その際に、どういうことかを説明した。

「あんた! このままぼけっと生きていたら、成金趣味の拝金主義者で男狂いの汚名を着せられたあげくに王太子妃を妬みでいびったあげく、王太子を誘惑した角で、ギロチン送りか、さもなきゃ一族郎党巻き込んで、牢獄死よ、わかってんの!?」

 と非常に説明臭い事を、立石に水のように、毎日毎日読み上げて、オリヴィアの頭をどつきたおし、(よく記憶障害がおこらなかったもんだ)、自分だけではなく従姉のステータス上げまで行ったのである。

 一言で言おう。

 猛者だ。

 勿論、彼女だってそれどころではない。このまま王太子妃にハッピーENDが来たが最後、そのときは自分の家が破産したあげくに親子共々首つりをするというこれまた定石エンディングが来るのである。

 そんなの、回避したいに決まっているではないか。

 オリヴィアとしては、当たり前だが、公爵令嬢とはいえそれらしい生活を満喫することも出来ず、毎日毎日、従妹に背後からどつきたおされながら、何個あるんだか知らないステータス上げに励まされるのは、いびりとしか思えなかったが、そのうち慣れて快感に--なるわけがない。

(私には私の、大学出たら自然農園カフェを作るって言う壮大な夢があったのに……)

 具体的にどういうことかというと、読んだまんまである。

 無農薬農園を作って、そこに自営の喫茶店くっつけて、そのオーガニックカフェ(?)で、生野菜売りたいなあと、自分に都合のいいことばっかり何個くっつけたんだかわかりゃしない夢を抱いて、大学の入学式に挑んだのだ。

 しかもそれまでの経歴が、現代日本の農学部を目指して受験勉強に励んでいたが、親の反対を受けて、経済封鎖を受けてしまい、泣く泣く地元の文学部を受験して入学したという輩である。

 その場に彩芽がいたのは、単純に、自分が乙女ゲームのシナリオライターか悪役令嬢関係の小説を出版したいと思っていたからだ。

 要するに、菜月がへたれでなければ、彩芽との出会いもなく、この乙女ゲームへの異世界転生もなかったことであろう。

 それはさておき、へたれというか、今時、農学部に行けばそんな都合のいい自然農園カフェを作れるようになるという思い込みも凄まじい。そして、今時、親の反対にめげて地元の大学(文学部)に進むというのも凄まじい。

 一言で言おう。

 アホである。

 二言で言えば、根性無しのアホである。

 そんなのが従姉で悪役令嬢として鍛えなければならなかったメルの苦労を考えれば、彼女が蛇女的猛者になるのも、全く当然の結末なのであった。

 そしてそんな大前提がある上で、メルが言った事はこうだった。

「可愛いシンデレラが意地悪な継母になる原理を述べよ」

 ↑出題。

「はい?」

 突然の事に、絞められた喉を撫でながら、リヴィは斜視気味の目を瞬いた。

「この世界にも、シンデレラの童話は、原典のまんまあったじゃないの。あんた、どう思う? この間の授業でも、範囲内でやったでしょうが」

「あー……はい、はい」

 リヴィはメルの非常に可愛らしい顔を眺めて言った。

 メルは、顔は乙女ゲームに出てくるだけあって、可愛いのである。

 ただし、どうしてもヒロイン補正が入って王太子妃候補で先代国王のご落胤である、アンジェリン・ドラモンドよりは劣るのだが。

 アンジェリンの方は、本当に、一目見ただけでお姫様オーラを放つ金髪碧眼純真無垢属性である。

 それに対して、メルは「赤毛意地悪枠」として、かなりいいセンをいってる可愛らしさを持っていた。

 そんな事を思うリヴィ。

 リヴィは高級娼婦的公爵令嬢(悪役)。そのことを今更つべこべ言っても仕方がないので、リヴィはリヴィとして考えた。

(なんつ~か、刷り込みの問題だよなあ。私だって毎日毎日、メルに、”あんた! このままぼけっと生きていたら、成金趣味の拝金主義者で男狂いの汚名を着せられたあげくに王太子妃を妬みでいびったあげく、王太子を誘惑した角で、ギロチン送りか、さもなきゃ一族郎党巻き込んで、牢獄死よ、わかってんの!?”って言われていたら、本当に、夢の中にまでギロチン出て来て、うなされた事あるもの)

 リヴィは、メルがあんまりにも毎日毎日、同じ事ばっかり言うので、最終的にその文句を覚えてしまったのであった。さながら経文か陀羅尼のように。

 正直、基○英会話などよりも百倍ぐらい効果のあるラジオである。

(私だって、あんな罵倒を毎日ぶちくらっていたら、ひねくれそうになったよ。そこで、性格よくしてられる人なんてそうそういないと思うけどねえ。ただ、なんかひねくれるのも……)

 リヴィは全然公爵令嬢らしくなく、背中をぼりぼりかいた。

(面倒臭くてなあ……)

 そんなことより自然農園のための体力作りで腹筋していた方がマシだし……。

 夢に向かって嫌な事を忘れるのはいいのだが、そこで「自然農園カフェ」と「腹筋」という落差について考えが寄らないところが、彼女の欠点である。同時に長所である。

「やめろ」

 即座にメルはリヴィの背中をかく手を自分の平手ではたき落とした。

「お嬢様は、こう」

 メルは花壇の手前のベンチに、お行儀良くちょこんと座ってにっこり笑ってみせた。

「はあ」

 リヴィは気のない返事をして、メルの真似をしてベンチに座り直した。

 ちょこん(高級娼婦的公爵令嬢)

「お嬢様は、こう」

 メルは、両手を指先まで丁寧にそろえて、自分の頬の横に添え、にっこり笑って小首を傾げた。

 可愛くても赤毛意地悪枠である。

 至近距離でそんな事をされたら、リヴィはどう思うか。

(ぞっとしない……)

 そう思ったが、さながら暗黒微笑でカツアゲされたような気分になったので、リヴィも恐る恐る、同じように両手を指先までそろえて顔の横に添えて、笑って見せた。

 うっふん(高級娼婦的公爵令嬢)

「やめて。酒場のママみたいよ」

 即答するメル!

「やらせたのはお前だ」

 即答するリヴィ!

 二人はしばらく睨み合っていたが、やがて、メルの方が先に動いた。

 この場合、ものぐさが先に口を開くとは考えられない。ステータス上げの真っ最中である。時間を無駄にするべきではない。

「環境が正義なんじゃないの? 遺伝っていうのも確かにあるけど、環境遺伝という言葉もこの世の中にあるわけで」

「ふむ」

「例えばさあ、ブスとかバカとかそういう罵言もあるしさ。後は、○ネとか脅迫になるような言葉もあるでしょ。そういうのを、毎日毎日浴びていたら、なんていうの? 精神が汚染されるよね。そこで踏ん張るのが大事って言えばそうだけど、周囲からそんなことばっかり言われている自分に、自信とかそういうのもてる訳がないじゃん」

「言われる相手が悪いって言う事もあるわよ?」

「でも、この場合は、可愛いシンデレラだった訳でしょ? で、シンデレラが、そのまんま王妃とか女王とかそういう、極限の座に行ったとする。純真無垢であればあるほど、害を受けるのは当然なんじゃないかねえ」

「……」

「例えば、昔の日本の、大陸と島国の間に挟まれた半島のような場所で、女王として難所を切り抜けろって言われたらさ。可愛いシンデレラがよ? 元からもっていた自分の美質を保てるとか、そんなことあるわけ? 例え表面取り繕っていたにしても」

「ま~……。表面とか体面を取り繕っても、悪口言う人は悪口言うだろうし、それをもろにぶちくらう立場な訳だし? そしてそれを当然と世間は見るし?」

「そこで、元通りの純粋で可愛らしいシンデレラやったら、バカだって」

「周囲はそれを望むわよ?」

「最終的に、乙女界の定番である純粋ぶりっこ腹黒属性になるんではないかと。そうでなければ、意地悪な継母ポジで開き直るか」

「ぶりっこはつまり、まだ開き直ってないと」

「あるいは、そのポジにうまみがあるから、吸えるうちは吸っとくのよ」

 ふむふむと、メルはリヴィのケバケバしい美貌を眺めた。その顔で苦労したことであろう。

 リヴィはメルの赤毛意地悪可愛い顔を見つめた。すんげえ頑張って可愛くメイクしてるなあ、それも努力なんだべが……と。よくやるわあ。

「でも、シンデレラの方だって、可愛いシンデレラでいたかったって気持ちはあるはずよね?」

「そりゃ、そうでしょ。誰だって、意地悪な継母のような気持ちで生きていきたいはずがないもの。ただ、そこで開き直らざるを得ない状況があるわけで」

「シンデレラは、どうやって可愛さを作っていたのかしらね?」

「はい?」

「だって、そういうことにならない? シンデレラだって決してらくちんな環境じゃなかったわけでしょ。ということは、天然の可愛く”なる”じゃなくて、あの状況で可愛さを”作って”いたんじゃないかしら」

「なるほど……」

 メルの言い分も一理ある。リヴィは頷いた。

「まあ、本当は、女性が可愛くしてられる環境を作った上で、可愛さを”作る”女性が最強って事になるんだろうけど、なかなか現実そうもいかないわ。可愛くしてられない環境なんだったら、そこでどうやって……」

 メルが何やら滔々と語り出したので、リヴィは段々、聞く気もなくして上の空になってきた。

 見た目はいかにも高級娼婦的公爵令嬢なので、まるで、メルかメルの背後を睨んでいるように見えるが、メル本人は、ただボケてるだけだと知っている。

 メルはつくづくと思い出す。

 ゲーム原作内のオリヴィアがなんでそんな危険人物になってしまったのかと言うと、隠し設定があるのだ。

 それはかなりアダルトな設定であるため、子どもには見せられないというので、ゲームの中では語られない。

 公爵令嬢とはいえ、オリヴィアには兄がいる。要するに、跡継ぎではないのだ。

 そして女の子。

 そういう訳で、幼いうちに、大人の使用人に性的なアレコレをされ、さらに公爵家内における上下関係の鬱憤晴らしに使われていた事があるのである。

 さすがに、成長して抵抗手段を持ってからは逆襲に出る事も覚えたが。

 しかし、オリヴィアの受けた傷は深く、精神的に病むようになり、金しか信じられなくなったり性的な逸脱があったり、さらに、純真なアンジェリンを激しく憎むというような、そういうことになったのだった。

 隠し設定でありながら、かなり有名な話であり、それこそネット上の二次創作ではよく使用されている。

 メルはそのことを思い出して、やるせない想いに駆られた。

「ゲーム内のオリヴィアもいわばそういう被害者であるのよね」

「あ、私は関係ないし。顔はこうだけど、そんな浮いた話ありませんから」

 リヴィはさらっと流した。

「そうよね……あんたは別の意味で逸脱しているもんね……」

「そうだっけ?」

 リヴィは黒い巻髪の頭をかいた。

「そうだよ」

「なんで?」

「お前の親友を言うてみい」

「名無しさん」

 メルはもう一回リヴィをどつき倒した。

 勢いあまってリヴィはへろへろとベンチの背もたれに倒れた。

「そこは普通、私の名前を言うべきじゃない?」

「文法的におかしいんですけども!?」

 そうすると、リヴィがメルと親友同士ということが、別の意味での逸脱という事になるのだ。分かっていながら、発言者でありながら、メルはそこをスルーした。

「名無しさんって、何者よ」

「魔族」

「政治的に潰しがかかっている魔族ですね」

「ウィ、マダム」

「そして、お前、確か公爵令嬢だったよな?」

「イエス、、、マダム」

「公爵令嬢って政治に関わってなかったっけ?」

「あ、私政治方面に進む気ないんで。夢はでっかく自然農園だから!」

 メルは分厚いテキストを縦に持ち、角で思い切りスパーーーーーンと行った。

 リヴィの目から少女漫画的な火花と星が散った。

「魔族と縁を切れって何回言わせるんだ、お前はァアアアアアア!!」

「魔族はともだち、恐くない!!」

「何十年前の話をしているんだ、このボケェエエエエ!!!!!!」

 既に、男爵令嬢としての透き通った仮面はかなぐり捨てて、メルはリヴィに詰め寄った。

 最早リヴィは絶体絶命である。

 何しろメルは、ステータスageの怪人。

 ぼさっとしていて必修単位を落っことすようなリヴィとは、詰め寄り方が違うのだ。

「大体さ、なんで必修単位落としたの!? もう一回、言ってみな!!」

「試験中に寝ました」

「なんで!?」

「前日に、自宅の畑の温室のビニールが突風で煽られて破けちゃったんで、中の野菜を守るために一晩中作業をしたところ、試験の最中に眠気に勝てずにスコーンと」

 はっはっはっは。

 笑い事じゃないのだが、農園とかビニールハウスにとって、ビニールの屋根や壁が風で吹っ飛ぶということがどういうことか、わからないはずがない。

「スコーンと」

 メルは、その場で、魔法のように(魔法なんだが)レーズン入りのスコーンを取り出し、リヴィの口に突っ込んだ。というよりも、ねじこんだ。

「それ喰っている間は、黙ってろよ。黙って聞けよ?」

 そこから、メルのメル語が始まった。

 彼女の独特の視点による論理展開による疾風怒濤の説教である。

 とても聞いてられないので、リヴィはスコーンを喰う事に全神経を集中していた。世の中、だらしないことはダメなのである。

 食べるなら食べる。聞くなら聞く。どっちかにしないと。

 そういう訳で、リヴィは必然的にレーズンスコーンを食べる方に熱中し、メルのメル語は全て無視した。

 当然ながら、メルは面白くない。そこで鉄拳制裁に出ようか、それとも言葉責めに走るか、どうするか悩んだ、その時--。

「リヴィ、メル、そこにいるの?」

 鈴りんを転がすようなお姫様の声を奏で、アンジェリンが現れた。

 光の糸のような金髪を風にたなびかせ、白い絹の肌に滑らせて、しずしずと歩くその姿は正しく白百合の花。

 文句なく可愛らしく美しいアンジェリン姫。

 そんな彼女がピュアな微笑みを見せながら近づいて来るのに、たちまち、グラント姉妹の顔面は蒼白になってしまった。

 勿論、悪役令嬢である以上、ヒロインPOPは避けて当然の有事である。

 しかし、イベントはイベントとして乗り越えなければならないし、最低限の接触は持っておいた方がいい。

 知らないうちに勝手にゲームシナリオが進行していたらどうする。

 それは分かっているのだが、それでも逃げたくなる理由があるのであった。

 理由は、見れば分かる。

 アンジェリン……アンシーが、歩くそのごとに。

 花壇の脇に植えられていた、樹齢百年はあろうかと言う、木々が揺れる。

 揺れるのだ。

 風が吹いてる訳でもなく、ましてや豪雨豪雪がきている訳でもない。嵐がきている訳でもないのに、木々が。

 音を立てながら、軋んで揺れ始める。

 アンシーが歩くたびに。

 にこにこ笑うアンシーの背景で、次々と倒壊を始める、花壇の大木達。

 アンシーは笑っている。何故なら、彼女の天災アタックにおいて、彼女が被害を受けた事は、生まれてこの方一度もないからだ。どういう訳か、彼女が行く先々で、地震が起きたり道路が割れたり、豪雨豪雪交通事故、時には人命が関わる大惨事が起こったとしても、どういう訳かアンシー本人は、笑顔でピンピンしているのであった。

 生まれた時から気がついたらそうだったため、アンシーは何が悪いのかよく分かっていず、グラント姉妹の方に歩を進めていく。

 引きつり笑いを浮かべながら、リヴィとメルはじりじりと、後ずさりを始めた。

 何しろ、今にも、先程までどっしりとたっていた大木が折れそうになっているのである。

 見てれば何やらギシギシメリメリとわかりやすい音を立てて、近い将来大悲惨な事になりそうなので、リヴィ達は流石に走り出した。

「あ、待って~」

 アンシーが追いかけてくる。お姫様のくせに走り出す。

 その途端に、大木が音を立てて文字通り倒壊を始め、リヴィ達の前後左右に落下しまくった。

 当たり前だが、声を立てる余裕もなく、リヴィとメルは落下しまくる大木を避けて走り出した。

「もーッ!? 一体なんなのよ、これはっ!?」

 メルが怒鳴った。

 走りながら。舌かまないのだろうか。

「ゲームと人間関係が逆って、そんなのありか!?」

 ゲーム内では定番として、リヴィとメルがアンシーをいたぶり、それを王子様であるノア・ドラモンドが庇うというシナリオであった。

 それ故に、メルは、王立学院の幼等部の時から、アンシーの言動をチェックしつつも華麗に回避してきた--はずなのである。

 ところがだ。

 どういう訳か、アンシーの方が、やたらとリヴィに懐いて、用事もないのに寄ってきて、やたらと話しかけてくるようになったのだった。

 何かのおりに、メルがアンシーに尋ねたことがある。

 どうして、(悪役令嬢の)私達なのよ、と。

「お父様がそう言ったから」

 全く悪気のない様子で、アンシーはそう答えた。

 彼女は先代国王のご落胤で、幼少時はどこぞの農家で育てられたが、親の手が離れたぐらいで現国王に引き取られ、王太子のノアの婚約者という立場である。まるで絵に描いたような少女漫画だ。乙女ゲームだけど。

 つまり、お父様というのは現国王。

 その彼が、義理の娘に公爵令嬢や男爵令嬢のグラント一族と仲良くしろ、と。

 そういうお達し。

 言われた時のメルの形相は透明な仮面が壊れて、どん引きどころの話じゃない。

 そして、そんな顔をされても、にっこり笑って「お父様の言うこと聞くの」ってやってるアンシーも一体どうなのだろうか。

 しかし、彼女の方は全くの純真無垢で天然栽培な態度で、ピュアピュアながらリヴィたちに懐きまくり、そのたびに、机が吹っ飛んだり黒板がぶっ壊れたり、酷い時は体育館が10分で粉々に砕け散ったりと、それなりにそれなりな悪役令嬢物のヒロインなのであった。

 例えば一介の平民ならば、恐れ入りましたで退散し、断る事も出来ようが、なまじ公爵家のグラント一族ともなれば、国王のお達しを無視することも出来ない。

 さらに、そこに乱入するのがノアである。

「やめるんだ! アンシーが困ってるじゃないか!!」

 そんな調子で、王子様が王子様して王子様なのだ。

 どういうことかというと、ちゃっかりアンシーのナイトになって、婚約者を守りますと頑張るのである。

 そして、ゲームシナリオでは、オリヴィアが王子様を奪おうとしてアンシーをいじめるという定石なんだから、ここで、ノアが出て来たら、事態が本当にややこしいことになるのだ。

 別にリヴィもメルも、アンシーに何もしていない。むしろ、穏便に避けようとしているのだが、アンシーの方がリヴィに懐いて、何もしてないのに物壊す。そこで、ノアがアンシーのピンチといわんばかりに、ダッシュで駆け寄ってくるのである。

「姫、ご無事ですか?」とでも言いたいのか、お前は。

「アンシー、危ない、下がってろ!!」

 今も実際、なんかそれっぽい事を言いながら、大木を蹴散らそうと頑張るノア。

(あ~。頑張れ~……)

 リヴィは走りながら気だるく応援し、とにかくアンシーから逃げようと、両足を順番に懸命に動かすのであった。

「なんで? なんで、ゲーム内の矢印がこんなに滅茶苦茶になってるの!?」

 メルはなんだか、まだ言っている。

(知らないよ。乙女ゲームやったことないもの。それより、オーガニックカフェのカタログ見て煩悩して生きて来たんだ、私は)

 リヴィの方は返事をしたいが、走っているため舌を噛みそうで、それもろくに出来ない。

 しかし、ここでどうしてここまでメルは舌が回るのか。

 やはりステータス値の問題であろうか……。

 王立学院--。

 当然ながら、クインドルガ王国で最も大きく最もレベルの高い学校である。

 その庭園の、花壇周辺の街路樹全てをなぎ倒す勢いで、リヴィ達は走った。

「あーもう……ヤバイ……全力疾走、どこまで持つか……」

 ついに、メルがそんな声を立てた。

 メルの方がステータス値は高い。少なくともHPやSTR、VITにおいては。

 そのメルがへばった声を上げると言う事は、リヴィだってもうフラフラであった。

 汗だくになって走りながら、リヴィはどこか隠れる場所を探した。とにかく、アンシーから逃げ切らないとどんな天然災害が起こるか分かったものではない。

 メルの方も、やはり限界か、立ち止まって両膝に両手を突きながら、肩を激しく上下させて息を整えている。

「リヴィ~、メル~」

 一方、アンシーの方はまだまだ余裕の様子で、ノアと落っこちてくる大木を背景に、どんどんこちらの方へと迫ってきた。

「あー……、どうしよっ」

 思わず、悲鳴のような声を上げてしまうリヴィであった。

「リヴィ?」

 そのとき、花壇に続く沈丁花の茂みの中から、声がした。

「!」

 リヴィは、顔を撥ね上げた。その顔は、明るく輝いていた。ピュアさで言えば、先程のアンシーにも負けないぐらい、明るい笑みを見せていた。

「お兄ちゃん!」

 リヴィの声につられたように、茂みの中から出て来たのは、彼女と同じ黒髪の青年であった。

 ブライアン・グラント。

 正真正銘、オリヴィア・グラントの兄である。

 リヴィより二歳、ノアよりも一歳年上で、落ち着いた品のいい貫禄のある公爵家の嫡男だ。

「一体、どうし……」

 妹と従妹の切羽詰まった様子に、身を乗り出して、ブライアンは軽くため息をついた。

 背後のアンシー達の惨状を認めたからである。

「分かった。ほら」

 ブライアンは、少女達の方に軽く手招きをした。

 リヴィにとって、優しい兄ということは、メルにとっても以下同文。

 二人は、大急ぎでブライアンのいる茂みの奥へと駆け寄って行った。

 リヴィは、その茂みの奥、煉瓦で舗装された小径を走りながら、気がついたのだった。

(うぎゃー!?)

 同じ事をメルも感づいたらしい。

 顔に漫画的縦線が入りそうな勢いで真っ青になり、立ち尽くしている。

「どうしたんだ。こっちなら、必ず安全だろ?」

 ブライアンは、不思議そうな顔でそう言っている。

「え、だって、さ……」

 リヴィは震える声でそう言った。

「それじゃあ、別の意味での天災と、妖魔の起こす人災と、どっちの方がマシ? あのまま、ひき殺されるよりは、いいだろう?」

 ブライアンは、諦めたような怒ったような複雑な顔で応えた。

 後ろでは、この世のものとも思えない轟音を立てながら大木を蹴散らしていくアンシーとノア。

 確かにそれに比べれば……と思い、リヴィとメルは、ブライアンの後をついて、学院の研究棟へと向かったのであった。

 学院の研究棟には、教授から講師まで、あらゆる先生と分類される類とそのアシスタントが詰めている。また、学院には医学部もあるため、医者のシンクタンクも作られていた。

 そのため、だだっ広く華麗な王立学院の中でも、奥まった位置に大幅なスペースと特別金のかかった備えが儲けられている。

 その賑々しい建物の中の入り組んだ小径をくぐり抜け、ブライアンが向かったのは、その研究棟の中でもドSと名高いピート・スチュアートの部屋であった。

(あのさあ、ピート先生って、あれだよね。吸血鬼だよね)

 リヴィが、メルに囁いた。

(そうだね)

 メルは口数が少なかった。

(あの鬼、なんで昼間っから活動出来るの?)

 リヴィがさらに尋ねた。

(ゲームではよくあることです)

 メルは簡潔にそう答えた。

 困った事には、リヴィは、ゲームをやらないのでさっぱり意味が通じなかった。

(あの、意味がわからないんですけど)

(うるさい、変態だからじゃないのッ!?)

 そこで突然、メルがキレた。

 リヴィは困った。

(何それ。変態は七難隠すとかそういうこと……?)

 明らかに誤用であるが、リヴィはその点が分かってない。

 彼女の解釈はこんな感じであった。

 顔面が白かったら、人の難癖は七ツぐらい隠せるって意味だったっけか……?

 リヴィは文学部には入学したが、入学式の帰りにバスに轢かれたため、そのへんの教育は全くもっておろそかなのであった。

 そしてここは異世界。現代日本の国文学的言い回しなど、何にも浸透しているはずがないのである。

 それぐらいとんでもなく面白い状態で、リヴィは「単位を落とした」当の本人の研究室へと兄に連れられて向かったのであった。

 のこのこ。←リヴィ。

 のこのこ。←メル。

あとがきなど
読んでいただきありがとうございます。
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