序章
そもそも星人の話 1
そもそも、思い起こせば、今をさかのぼること16年以上前。
このクインドルガという王国のある異世界、その詳細に関して、どのようなシステム転生が行われたものなのか、そこは二人とも知らない。転生に関して、ご都合主義の女神様などが出現するような事はなかったのである。
だが、現在、オリヴィアもアメリアも15歳、誕生日が来れば16歳であるからには、転生事件が起こったのは、16~7年以上も前の事になるであろう。
オリヴィアも、アメリアも、6歳で王立学院の幼等部に入学するぐらいまでは、自分達が大貴族であるグラント家の一員であるという事に、何の疑問も持っていなかったし、異世界などというものが、存在することすら知らなかった。
公爵家の庭には、かなり大きな池があり、そこにはボートが何艘か浮かべられていた。
ある晴れた休日の午後、アメリアがオリヴィアに遊びに会いに来た。オリヴィアの母とアメリアの母が姉妹同士である関係で、二人は物心がついた頃にはお互いの顔を認識ていたし、家同士の交流も盛んであった。
何の拍子で、子ども達が二人だけ、親や使用人の監視の目をくぐり抜け、池のボートのところまで走ってきたのかは、覚えていない。
いずれにしろ、前後の事は混乱していてリヴィもメルもはっきり覚えていないのだ。
最初は、ボートの周りでかくれんぼをしたり、追いかけっこをしたりして楽しんでいた6歳児二人。
今度はまた何の拍子だったのか、どっちかがボートの中に潜って隠れて遊び始めた。
それから、ボートの中を探検したり、床で跳ねてボートを揺らしてみようとしたり、そうして子どもらしい遊びをしていたのだが。
そしてまたまた何の拍子だったのか、6歳児のどっちかが、ボートのともづなを引っ張って、そのうち二人で綱引きみたいに引っ張り合ってきゃっきゃきゃっきゃと遊びはしゃいだ。
もうこの辺りから子どものすることとして笑ってすませられないだろう。
それにつけても、この時点で、まだ親も使用人も、事件に気がついていなかったらしい。
で、当たり前だが、6歳児が興奮しながらボート揺らしてともづな引っ張って二人がかりでテンションあげていたらどうなるか。
ボートが、池の真ん中に勝手に滑り出してしまったのである。
最初はびっくりしていた二人だったが、ボートが波に従って自然に動いていくのに喜んで、面白がって、さわったこともないものにさわりはじめた。
つまり、6歳の幼女が何を思ったんだか(何も思ってないのかもしれないが)、一人一本ずつオールを持ち上げて、ばらばらに波を引っ掻いたのである。
大惨事。
当たり前だが、ボートは波飛沫をあげて華麗に転覆。
幼女ながら公爵家男爵家のドレス着たまんまの幼女は池のど真ん中に放り出されて、泳ぐ事も出来ずに沈没。
二人とも溺れて、気を失ってしまった。
そして、この件に関して、オリヴィア--リヴィの方だけが言われている事がある。たまたま何かの拍子に、リヴィは、このとき被害を追加されているだろう、と。
ボートの底かオールで頭を打ったんじゃないかと、ずっと言われている。
リヴィはそんな覚えは全然ないんで否定しているのだが、親兄弟もメルもその可能性が高いと言って譲らない。
そしてこの、メルはボート転覆で溺れて気絶、リヴィはボート転覆で溺れたあげくに頭を打って気絶事件が、二人を転生者として覚醒させるきっかけとなったのであった。
リヴィの方は、気を失っている間に、やたらと長い夢を見たとだけ思っていた。自分がクインドルガ王国の公爵家の長女だと言う認識の方が固定されていた。
夢の中で、リヴィは米田菜月という別の名前を持っていて、日本という国の高校生であった。
菜月には、将来は「自然農園に自営のオーガニックカフェをくっつけて、そこで農園で収穫した野菜を売りたい」というファンタスティックな夢を持っていた。そして彼女が選んだのは、農学部に進むということだった。
そういう、言ってはなんだがハタから見たら何がやりたいんだか分からない夢に関しては、どこから突っ込んでみたらいいのか不明だが、とりあえず本人が一番やりたいことが、自然農園を作る事なので、農学部に行けばいいと思ったようだ。
そのために、菜月は日夜、せっせせっせと好きな勉強に取り組んで、勤勉な受験生生活を送っていた。
ところが、三年に上がる直前の進路指導で、両親と完全に意見が食い違ってしまう。
両親は、当たり前だが、「お前の夢は荒唐無稽過ぎて、現実感がない。土いじりする前に、地に足をつけなさい。いいから、堅実に地元の大学に通って、ちょっと頭冷やせ」ということで却下した。農学部いったら自動的に、自然農園作れるって、そんな訳ないだろうと、言ったのだ。
菜月も必死に食い下がったのだが、農学部→自然農園→どこからともなくオーガニックカフェ→そこで生野菜売って繁盛する→一生喰ってける
という→がどのように、論理的にくっついていくのか説明出来ず、それに関する資金繰りについても、十代二十代の娘に出来る現実的な手腕がなく、最終的に挫折した。
そうなると、その資金は親が調達することになるだろう。菜月はまだ高校生なんだから。そういう訳で、親は反対したのであった。……まともである。
親の熱心な説得(説教)によって、地元の県立大学の文学部にべしっと追いやられてしまった。
そういう訳で、高校から、地元の大学に無事に入学した菜月だったが、不本意もいいところであり、全く興味のない勉強に一年費やしてしまったもので、適度にやさぐれた半死人になっていた。
その入学式で出会ったのだが、同じ県内でも別の市内から通学していた倉橋彩芽である。
このとき、彩芽は、ちょうど入学式で、通路を挟んで真横の席に座っていた。
どういう並びだったのか、よくわからないんだが、とにかくすぐ隣で、入学式の最中に、スマホを出しっぱなしで熱心に何かを読んでいるのである。
そもそも、そんなに思い入れのある大学の入学式という訳でもない、感無量とかそういう気持ちもなかったため、菜月は関係者の挨拶を聞き流しながら彩芽のしていることを観察してみた。
(なんだろう……インターネットのニュース記事とかと……ちょっと違うみたいだけど……? ん?)
じっと様子を窺っていると、相手の持っている大きめのスマホに浮かぶ行は、独特のテンポがある上に、ところどころ「」や()が表示されていることが分かった。細かい文字までは、菜月の視力では分からなかった。
(ネット小説……っていうやつかな? 私は、読んだことはないけど)
菜月は、自宅でもガーデニングや部屋の中の鉢植えに夢中になっていて、あまりネットやゲームには触らないで来たのである。
しかし、入学式の間、暇だったので、ずっと、その奇妙な同級生の奇行を見守っていたのであった。
やがて、入学式が無事に終了し、その後、自由参加のパーティが開かれた。
新入生を歓迎する学生委員と、時間に余裕がある新一年生達が、大学の講堂で立食のティーパーティを開くのである。
菜月は最初、乗り気じゃなかったのだが、ぼんやりしていて、学生委員にとっつかまってしまい、講堂に連行された。
お菓やケーキ、紅茶のペットボトルなどが並べられたテーブルに案内され、戸惑っていると、隣からカチカチとスマホの音がする。
振り向くと、そこには、先程の同級生がいた。
「あの……」
思わず、菜月は相手に声をかけた。入学式の間からずっと、同じネット小説を読み貪っていたのだろうか。
「あの、スマホ……」
「はい?」
そこでようやく、彩芽は振り返った。
眼は充血していたが、明るいさっぱりした笑顔を見せていた。
反射的に、菜月も微笑んだ。
「式の最中も、ずっとスマホ見てましたよね。えっと、何か面白い記事でもあるんですか?」
「え、これ!?」
彩芽は、ちょっとびっくりしたようだった。
それに、入学式の最中にまでスマホいじっていた事がばれたことにも気まずさがあるのだろう。頬を赤らめている。
「あー、えっと、趣味でよく読んでる小説なんだけど……。ネット小説とか、興味あります?」
そのへん、かなり打ち解けた様子で話すのは、二人が入学した学部が文学部だからだ。小説などの話題は、かなり広範でフラットに受け入れられるだろうと、そういう思惑があったのだろう。
「いえ、あんまり。でも、そんなに熱心になるって事は、面白いんですね、きっと」
控えめながら賛同を示す菜月。
本人は、そもそも日本で最高峰の農学部を目指して勉強していた。その後、わずか一年で地元の大学の文学に進路変更。元々大して興味がないので、受験勉強しかやってない。(小説? メジャーな漫画や、受験に出て来そうな昔の小説ならちょっと読むけど……。でもここで、いきなり、そんなの興味ないって言ったら、会話がボッキリ切れちゃうよねえ)
「そうなのよお!!」
そんな、実に日本人的な曖昧かつどうとでも取れる対応を取った菜月は、10秒後に後悔する。
入学式でスマホでネット小説を読んでいたということは、高校の卒業式でも読んでいたんだろう……。
式に来る途中の電車の中でも読んでいたんだろう……。
急いでなかったらトイレの中でも読んでいたんだろう……。
ひょっとしたら、防水対策した上で、風呂の中でもスマホでネット小説読んでいるのかもしれない……。
菜月がひっそりそんな感慨をかみしめる勢いで、倉橋彩芽は、ネット小説の一つの分野、「悪役令嬢」について熱く苦しく麗しく語り始めたのであった。
それを聞きながら、菜月は思った。
(シュトルム・ウント・ドランク!!)
自分でも意味が分からないが、そんな感想が出てくるような悪役令嬢ものと乙女ゲームシナリオの語りであった。
(うん。確かに、これぐらいの熱意があるんだったら、悪役令嬢の小説の出版か、乙女ゲームのシナリオライターには、なれるかもしれない。そっかあ、なるほどお。それで地元の文学部に来たわけね。そりゃ納得納得。確実に夢に向かって進んでる感じ、いいわ)
自分がなまじ、訳のわからない夢の挫折をした直後であったため、菜月は彩芽に好感を抱いた。
言ってる意味は半分以上わからなかったが(オタクがオタク語を話すように、メルはメル語を話していた)、本気出して頑張って、夢を叶えようとして、一つの結果を出した人間に、悪意を抱く人間はいない。
「ねえ、菜月は、なんでこの大学に来たの?」
「えーっと……うん。それがさ……」
たどたどしいながらも、菜月は情けない理由を説明した。
「うん、あんた、バカだわ……」
菜月の夢とその挫折の内容を聞いた彩芽は、軽くヒきながらそう言った。
彩芽としても、こんな訳の分からない事をほざいている同い年は全くもって初めてだったらしい。
「えー、でもさ。農学部から自然農園は飛躍に聞こえるけど、農学部に行った先で農園の息子か娘に話を聞くとか、あるいはそっちに繫がりのある教授の支持につくとか、そういう事だって出来たのに。んで、農学部に行きながら、独学でも通信でも、経営の勉強をして、農園を経営する準備だけでもしておけば。後は、市から畑を借りるとかさー」
「は、はい?」
「まず、座学として農学部の勉強、それと経営の勉強をするでしょ。そして、教授や学生に広く顔を売って、つながりを作っておくの、そして自分では、市とか町がよくやってる、畑とかの貸し出しに登録するのよ。最初はちっちゃい畑でいいの。やって続けば、客はつくだろうから」
「…………」
「で、小さい畑も続けられないようだったら、農園なんて夢また夢よね。そうやって自分の適性はかりながら、農学部時代を満喫して、世間に出ていったら、別にそこは、オーガニックカフェに勤めればいいんじゃないの? 自前で畑持ってる店員がきたら、わりと喜ぶかもよ。しかも、農学部で知識はインテリってるわけだし」
「……」
「そこで、カフェ経営の実績をツミツミしながら金貯めて、30代に入ったぐらいで農園を買うなり畑を大きくするなりすりゃいいじゃん」
「……」
「このへんは並行して考えればいいわ。大きい畑をやりながらカフェを続けるか、畑一本に絞るかは、そのときの体の余裕と経済状態みてじゃない。いけると思ったら、カフェを切ればいいし。そして、畑が軌道に乗って、そこでお金があったら、自前の喫茶店に取りかかるのよ。順番さえ間違えなければ、なんとかなるわ」
「……なんでそんな……」
菜月はかすれた声をあげた。
農学部にいかずに文学部きて、入学式の終わった歓迎ティーパーティでそんなことを言われたって仕方ないじゃないか!
「まーね、小説家希望だから!」
華麗にサムズアップ!b を決める倉橋彩芽18歳。発想だけはかなりいけてる。
菜月はトドメを刺されてよれよれになってしまい、ふらふらな頭をなんとか振り立てながら、紙コップから甘いジュースを飲み干した。本当に甘かった。実に甘いジュースであった。
そうこうしているうちにティーパーティの時間を終え、菜月はやはり沈鬱な表情でふらつきながら大学の校門の方へ向かった。菜月があんまり顔色が悪いので、彩芽がついてきた。
(ああ、バカ……本当バカだ……。なんで、一年前に親と相談するときに、そういうふうに順序立てて話をしなかったんだろう……。自分の言いたい事にばかり夢中になって、問題点を整理出来てなかったんだ……トホホ……)
頭の中はそんなことでいっぱいである。
「ねえ、大丈夫なの? ジュースでも飲み過ぎた?」
彩芽は優しく菜月に声をかけ、介抱するようにして隣に立ちながら、一緒に歩いてくれた。
(いい子だ……本当にいい子だ……悪役令嬢マニア? なのはともかく……自分で目標定めて頑張って、確実に結果出すタイプだし、笑顔はさわやかだし、人の相談には快く乗るし、自分の考えや価値観が確立されていて、それを上手に相手に伝えるし、おまけに優しくて親切……。なにこれ、欠点はオタクってだけじゃねーか)
それに引き替え我が身のバカさよ。
そう思うと、実に実に、涙がちょちょぎれてくる。
具合が悪くなりそうだったが、そのへん菜月は持ち前のバカさを再び発揮した。
(あれ、でもさ。人と人を比較するのって意味なくない? 単に、私は方法論がわからんかっただけで、今それを教えてもらったんだから、再考して実践すればいいだけだよね。そして、彩芽のいいとこは見習って、私は私の長所伸ばしてやりたいことやればいいだけじゃん)
菜月は自分で自分に肩をすくめた。
(人を二人でも三人でも並べて、あっちはよくてこっちはダメとかあれこれケチつけたりなんか変な評価したりする人は、自分がそういう世界で生きていけばいいよ。私、そんなだっさい事には興味ないし、今どうすればいいのか分かったんだから、パパやママや、他の人達に今の話を相談して、意見を聞いてみよう。そうそう、挫折は挫折として、前向きに考えて悪いことはないって)
入学式のその晩に、そんな話を切り出されたら、親だってどんな顔をしたらいいのかわからないだろう。だが、菜月は善は急げとかそんなことしか考えていなかった。
そして、そんな菜月のバカさ加減に、神様だってツッコミを入れるしかなかったのだろう……そして彩芽は巻き添えだったのだろう……。
ふらふら歩いている菜月と隣を歩いていた彩芽に向かって、居眠り運転の回収バスが突っ込んで来て、二人は見事にぐしゃっと行った。
そのまんま、異世界転生してしまったのである。
その後、何年経ったのかは定かではないが、いずれにしろ菜月はオリヴィアとして転生し、彩芽はアメリアとなって転生した。
そしてくだんの池のボート事故が起こって、オリヴィアは夢の中でそんな事を想いだしのだった。
しかし、当時6歳の上に、元々のスペックがぼんやりさんのリヴィ(菜月)である。
夢から覚醒した時も、意識ははっきりしていず、なんだか凄く妙な心地であった。
目を覚ますと、そこには、涙で目を真っ赤にした母の顔があった。
「リヴィ! 気がついたのね! リヴィ!」
実は結構な大事故であったらしく、母親はまだベッドの中のリヴィにしがみつくように抱きついて、涙声を上げた。
「ああ、神様、感謝します……!!」
「本当だ、本当だよ」
その母親の肩を抱き寄せるようにして父親も、泣きながらリヴィの顔を見つめた。
6歳の娘が自宅の池で溺死しかかって、ようやっと覚醒したのだから、当然の反応と言えよう。
6歳であるから、リヴィは神様の事なんてよく分かりはしない。しかし、クインドルガ王国では、道徳心を養うために、宗教は王室が大切に保護していた。
主神は母なる女神マリアンナである。いわば神格化された母性であり、豊饒と繁殖と平和、慈愛を司るとされた。
彼女は夫を持たないが、世界の真理の呼び声に応じて、脇の下から一人子を産み落とす。
それが、母を支え正義に生きる男神、光エマヌエルである。
エマヌエルはその二つ名、光の性質を持ち、それは言葉の光、理性の光、正義の光、知性の光であり、エマヌエルが存在する限り、光はこんこんと彼からうまれてくると言われていた。
神学的には様々な考察がある上に、それが王室の魔道学問とも関わってくるため、あんまり複雑なあたりは公爵夫婦である両親でさえタッチしたがらない。
そんな両親であるから、幼い娘には、一般的な道徳心を教えるために、寝る前に「かみさまのおはなし」をするのであった。
徹底して言われるのが、「自分がされたい事を、人にしてあげなさい」と言う事である。
人に言われてやな事は自分も言うな、人にされていやな事は自分もすんな、そんなことされたら気分が悪いでしょ! と同時に、いい話をたくさん聞かせて、「こういうことを言われたらリヴィだって嬉しいでしょ(されたら嬉しいでしょ)、だから、ママたちにもしてくれると嬉しいな。それと、メルやお友達にも明るく親切にしなさいね」みたいな事を、寝る前に絵本を開きながら教えてくれるような段階であった。
「喧嘩や言い争いはやめるのよ」ということも、公爵家の夫婦としてどんな苦労をしたんだか知らないが、娘にはしょっちゅう言い聞かせていた。結果的に、リヴィは、人と争いそうになると、(そんなことより楽しい事をやりたいなあ)という発想に大きくズレる娘に育った。
そして、15歳になった時には、人に頭をひっぱたかれても涙目になるだけでやり返さない、そんなめんどくさいことより趣味やりたいわ、という性格になってしまった……。
それはさておき、覚醒すると、親が神の名を呼びながら号泣して取りすがってくるもんで、リヴィはびっくりした。
びっくりしながら言った事がこうだった。
「そ、そんなことより、鯖缶食べたい……」
前世の米田菜月の好物が、鯖缶であった。
それを聞いて、神に祈って半ばラリラリな両親の叫んだ言葉。
「ああ、神様! 人を裁くな疑うな、正しくその通り。6歳の我が子ですらが、このように、神も運命も裁かず、我々親の不注意を裁かず、愛と生命を疑わず、ただこのようにありのままを受け止めております!! ありがとう、神様、そしてありがとう!!」
父が叫べば母も唱和。
なんだろう、と言う顔で、どうしていいか分からないリヴィ。
ただ、おなか空いてるし、鯖缶食べたかっただけなのに、なんでこうなっちゃってるの。
つまり、ここで鯖缶が出てくる程度に、米田菜月とオリヴィアの意識は混同されてしまっていた。そして、寝起きの6歳児はそのことがよくわかっていなかった。
とりあえず、20分ぐらい実入りの少ないコミュニケーションを繰り返して、リヴィはなんとか、あたたかいおかゆとおいしいお茶を持って来てくもらう事に成功した。
どうやら数日単位で寝込んでいたらしく、腹は本当にからっぽだった。そこに突然、大量な食事は出来ないから、消化のいいおかゆと、子ども用に甘くしたお茶が運ばれてきたのである。
まぐまぐとそれを食べながら、リヴィは違和感を覚えていた。
(もっと、おいしい野菜が食べたいな……この野菜はわりと上等みたい? だけど、そんなに新鮮じゃないみたい……ピチピチで甘くておいしい野菜……それに、とってもいい匂いのするお花……)
起きている間に、リヴィの中で、前世の意識と現世の感覚は混濁していった。
一方、リヴィの母、エルノラは、回復した娘が、健康な様子で食欲を見せているのを喜んで、椅子を引っ張って来てそこに座って、安心の涙を流していた。
「ママ、私、畑がやりたい」
食べてる最中に、突如、リヴィは顔を上げてそう言った。
もしも、穫れたての新鮮で美味しい野菜を食べたいと思ったら、自宅の畑で作るのが一番である。その考えが不意に浮かんで揺るぎなくなったのである。
「は、はた……け?」
エルノラは愕然とした。突然、何を言い出したのか、うちの6歳の令嬢は。
「お庭に私の畑を耕したいの。そこで、好きな野菜を種か球根かから植えて、美味しい野菜を作りたいの。穫れたての野菜でサラダを作ったら、ママに一番に食べさせてあげるわ」
「…………」
エルノラは、鳩がサラダビーンズの散弾銃を喰らったような顔で、愛娘を見つめた。一体何があったのか、分からなかったのである。
それから、リヴィの農民運動が始まった。
さながら受験生が墾田永年私財の法を、一息に言えるようになるまで、早口言葉をするように、物凄い早口で農民させろさせろさせろと迫った。
幼い6歳の娘が、近代イギリス風の大貴族の館で、墾田永年私財の法! 墾田永年私財の法! と連呼しまくった。
そして親からスルーされた。
何しろリヴィの親だった。面倒臭くなったり家族間の争いになりそうになったら、相手を華麗にスルーして、自分の好きな事や有益な仕事に没頭してしまった。
そりゃ、公爵家を取り仕切っている人間である。世間に貢献出来るような意義のある仕事にしろ、大勢の友達と取り組めるような趣味のイベントにしろ、てんこもりに持っているのだ。
またしても、粗忽属性に違いない使用人にリヴィを預けて華麗に仕事にGO!
そんなことしていいわけあるか。昨日の今日のはずなんである。
当然ながら、しっかりはしていないが、ちゃっかりはしているリヴィの取った行動は一つであった。
親がやってるんだ。
面倒臭い使用人はスルーした!
(パパもママも逃げちゃったから、私が逃げたってなーんも悪いことないもんね!)
6歳児らしい言葉でそういうことを言って、さっさとパパの書斎に潜り込んだ。
グラント家は由緒あるドラモンド王家に繋がる家柄である。
そして、ドラモンド王家からして、魔力があんまり高いので、魔法と魔道にいそしんで、そしたらうっかり王家を誕生させちゃいましたというような家系である。
結果として、グラント家の人間だって十分に魔道の素養があり、現グラント公爵であるジェイムズにしても、魔道研究の施設の後見人になったり、自分なりに独自開発したりする程度には優秀な魔導師であった。
その書斎に、またしても面倒臭い使用人の目をかいくぐって侵入を果たすオリヴィア・グラント6歳。
相当なぼんやりさんではあるが、自分の好きな事や目標達成に関しては、異常な集中力と行動力を示した。
公爵家は、娘にわりと賢く育って欲しいなというありがちな期待を寄せていたため、この時点で、リヴィは、高学年程度の読み書きは出来ていた。それでもバカなのは、バカは結局バカだからとしか言いようがない。
(畑出来そうな魔法って何かないかな??)
その読書能力と行動力を駆使し、傍若無人に書斎漁りを開始するリヴィ。
ばっさばっさと本や書類をかきわけていると、そこで突然、ドアが開いた。
「!!」
びっくりして書類を舞い上げ立ち上がるリヴィ。
「……何やってるの、リヴィ?」
ところが、そこに入って来たのは、一つ年上の兄のブライアンであった。
ブライアンは優しく柔和な顔に、穏やかな笑みを見せてリヴィをたしなめた。
「リヴィ、パパの部屋を散らかすのはよくないよ。片付けは手伝ってあげるから、乱暴な事はよしなよ」
ブライアンは、リヴィの方に歩いてきて、優しくその黒髪をなでつけながら甘やかすように言った。
「ご、ごめんなさい、お兄ちゃん」
リヴィは素直に謝った。
「うん。パパに限らず、人の部屋を荒らすのはよくない。俺が黙っていてあげるから、散らかした分はちゃんとやんなさい」
この時点で、ブライアンは既にじじむさいところがあった。
「それで、リヴィは何をやっていたの? 何か、探しているものがあるのか?」
恥ずかしそうにうつむいているリヴィと、散らかっている部屋の惨状を見比べながら、ブライアンは言った。
ちなみに、ブライアンは嫡男であるから、それなりの教育を受けている。まだ7~8歳とはいえ、アマチュア魔導師よりは仕込みがいいともっぱらの評判であった。
「私、畑が欲しいの。自分で耕したり、収穫出来たりする、畑仕事がやりたいの」
「……はい?」
突然の申し出に、ブライアンは引きつった。
そのあと、おもむろに、妹の額に自分の額を合わせて熱をはかった。
リヴィの額は、平温だった。
(おかしいな……池に落ちたせいで熱があるのかと思ったけど……)
リヴィの様子を観察するが、いたって真面目で、ふざけているようでもない。
(……まさか、ボートから落ちた拍子に、頭でも打ったんじゃ……)
おまわりさんこいつです。
リヴィが頭を打ってバカになったと言い出したのは、実は最愛の兄です。
おまわりさんこいつです!!
と知っていたら、リヴィは猛然と抗議したんだろうが、何しろ内心がはかりしれないため、気がつかなかった。
「お兄ちゃん、お願いよ。私、どうしても畑仕事がやりたいの! そして新鮮な野菜で、パパやママやお兄ちゃんに、穫れたてのサラダ食べてもらうんだから!」
(明らかにおかしいことを言っている)
ブライアンは、そう思った。
しかし、笑ってこう言った。
「そうだね。リヴィはそうしたいんだね。じゃあ、待っておいで。兄さんに、名案がああるから」
「え、なあに?」
「うん」
にこにこ笑いながら、ブライアンは父の本棚に向かって行って、一番あくどい本を取り出した。
魔方陣の本である。それも彼の手が届く一番ハイレベルなのを数冊。
「それ、何の本?」
魔術理論が兄ほど追いついていないリヴィは素直に彼に質問した。
「魔方陣の本だよ。レベルが追いついたら、リヴィにも教えてやるからな」
「それでどうするの?」
「魔族を呼び出すのさ」
にっこりと、人畜無害な笑顔を見せて、未来のグラント公爵はそう言った。
最愛の妹のために。
「えー、何それ、お兄ちゃん、私もやりたい!!」
好奇心旺盛な妹は即座に反応した。
それをみて、ブライアンは一瞬ためらったが、断ることはしなかった。
「そっか、それじゃ一緒にやろうね。魔族を呼び出して、そいつらに手伝ってもらうんだよ。畑仕事を。リヴィは、出来るところだけやればいいから」
そして、もちろん、そんなことはさせないという目論見が、最初はブライアンにもあったのだ。
出現した魔族にびびらせて泣かせて、立案をひっこめさせようとか。
あるいは、そこで諦めなくても、魔族に全部畑やらせて、リヴィが飽きるのを待つとか。
ブライアンは、7~8歳にしてブライアンだった。
だから、びびらせてちょっとオシオキしてやれ程度の気持ちで、リヴィに魔方陣まで使っちゃうような、魔族召喚スペシャル魔術を、本を選んで開いてまで、教えてしまったのである。
結論から言うと、
大後悔であった。
ちーん。
読んでいただきありがとうございます。