ないとなう! とは(10)テオ登場
アスラン達がライヒの駐屯基地に入ったのは、真龍暦901年の2月の事であった。ライヒは同名のオアシスを中心に肥沃な土壌を持って栄えている都市であり、その歴史は帝国誕生よりも昔にさかのぼるとされる。
人口は80万人前後、オアシス周辺に大規模な街を作り、ナツメヤシを主とする農業の他に、絹織物、綿花、皮革などの工業が盛んで、後はもちろん交易によって発展してきたのであった。
とりあえずは、精強と言える程度の地元の騎士団を備え、表通りには長旅の客をもてなすコーヒーを出す茶屋が何軒も並び、その表通りを見ている限りは、若い女性が連れ立って笑顔をふりまきながら歩いている程度には平和に栄えているように見える。
ライヒに入ったミュラー部隊は、土地勘がないので、宿舎に入ったその場から、ライヒの表通りに出かけるのである。元々好奇心が旺盛なアスランとフォンゼルが、市民の顔が見えなければ市民を守りようがないと言ったのだ。
まあそれは正論であるので、レオニーは血の気を持て余しているアスラン達を、ライヒの表通りに遊びに連れて行ってやったのである。名目は上の二行でいい。
お守りとしてリュウ。
表通りに向かう、ライヒでは見かけない軍服を着ているレオニー達を見かけて、近づいてきたのが、風精人にしては珍しい青みがかった黒髪の少年であった。
その名をテオフィール・フォン・シュタイン。
最初、彼は簡単に「テオ」とだけ名乗った。
「なあ、……ちょっと、あんたらの幸運を占わせてくれよ」
テオは、人相と手相を見て食いつないでいる十七歳ぐらいの少年であった。そういう女子どもは、オアシス都市には珍しくはない。言い方は悪いが、恵んでやるつもりで、レオニーが、テオを相手にしてしまう。ライヒの住民と軋轢を起こしたくないので、いい評判を作ろうと思ったのだ。
そしてテオは、ぽんぽんと、アスランやレオニーの趣味や特技や習慣を当てていった。彼は人相見を名乗るのに、名探偵レベルの推理力を持っていた。アスラン達の、ちょっとした仕草や言い方、身だしなみから、彼女達の行動パターンを類推し、70%近く言い当てたし、外した部分もその後の会話で理由がわかった。
「なんだ、お前……」
凄いな、と思わずアスランは感想を漏らしてしまう。人相見と言ったら水晶玉を持ってちちんぷいぷい~ぐらいのイメージしかなかったのだ。
テオは照れくさそうに笑ってこう言った。
「へへ、褒めてくれてありがとう。なあ、よかったら、あんたらの幸運のために、俺を雇ってみないか? 俺、騎士になりたいんだ」
「……騎士?」
びっくりしたのは平民でありながら軍人となったレオニーである。自分という前例は、確かにあるけれど。
「絶対に悪いようにはしない。あんたらを、必ずラッキーにしてやるから、俺を雇ってよ」
何がなんだかわからないが、とんでもない推理力と必死さであった。それで、ついついアスラン達は、彼の案内するコーヒー茶屋の中に入っていき、そこで、彼からの士官したいという売り込みを、これでもかと受ける事になったのであった。
その話は実に面白く、彼は推理力だけではなく巧みな話術を持っていて、相当に頭の回転が速く、話題も知識も豊富であることがわかった。
そしてその巧みな話術でわかったのが、ビンデバルド本家の、たとえ相手が風精人の貴族であろうと人を人とも思わぬ所業の数々なのである。
やたらに頭がいい上に、貴族で軍人の自分たちに全く物怖じしないと思ったら、テオは子爵とはいえ彼も貴族の家柄で、親が騎士で軍人だったのだ。本人は、子爵といえど商人に毛が生えたような程度の家と称していたが。
ライヒ騎士団の軍人で、参謀部にいた両親を持つテオには、ローゼマリーという姉がいる。彼は姉の事をローゼと呼んでいる。
両親が数年前に流行った熱病であっさり亡くなってしまう前から、ローゼはライヒ女子大学で勉学に励んでいた。両親が亡くなったので、彼女は倹約のために、益々勉学に励んでステップで大学を卒業する。しかも、大学を一年ステップして、首席の成績で卒業したのであった。
ちなみに姉の方は、弁が立って物怖じしない弟と真逆の性格で、ひっそり本ばかり読んでいる目立つのが嫌いな、控えめで大人しい性格なのだという。弟曰く、顔も体型も頭も性格も悪くないのにもったいないということだ。
そのもったいない彼女には、親が決めた、ライヒ騎士団の騎士である伯爵家の嫡男という婚約者いた。名をマグヌス。
二人は幼なじみで仲が良く、親が決めたとはいえ、それに全く不満を持っていない状態だった。頑固な騎士の家柄に生まれたマグヌスにしてみれば、大人しくて従順な嫁はうってつけで、ひっそりした風情は騎士道精神を刺激しているらしい。
弟の目から見ても、頑固で無口な騎士らしい騎士のマグヌスと、優しく控えめで賢い姉はぴったりなのだという。
そこに水を差したのが、ビンデバルドのシュテファニーの甥であるドミニク・フォン・ビンデバルド。
何でも、ローゼがライヒ女子大学に通う前、通学していたヴェステン貴族学院では同級生だったとか。
ドミニクは、貴族学院を卒業後は徒党を組んでライヒの表通りをのし歩き、面白おかしいトラブルを起こす以外は何もしない人生を送っていたのだが、ローゼがライヒ女子大学をステップ、しかも首席卒業をしたと聞くと、公然とこきおろしはじめたのだ。
曰く、「女のくせに」
テオ曰く「女のくせに、だからなんなの?」
ドミニクは女のくせにということを何故か大義名分と思ったらしく、朝な夕なに、貴族の子女への家庭教師として働き始めたローゼにつきまとい、それこそ耳にたこができるぐらい「女のくせに」をリピートしたという。
大人しいローゼは、黙って聞いていたそうだ。
そこまでの話を聞いただけで、女性教師であるレオニーは半目になっていたし、アスランとフォンゼルは半分口を開けた。ライヒ女子大学は、西部ではトップ、全国でも五指に入る名門女子大学だ。そこを首席卒業した女性に、遊ぶしか能のない男が公然とそんな攻撃をしたら、どう思われるかわからなかったんだろうか。
ローゼの方が黙っているのでいい気になったドミニクは、益々醜悪な事を言い散らしながら、ローゼになれなれしい振る舞いをするようになった。そこまでいけば、いくらなんでも気づくだろう。
ローゼは、黙って聞いているように見えた。
それは、従順に頭を垂れている訳ではなかった。
彼女は、無視していたのである。
ドミニクの言うことを、まるで相手にする価値がないと思って、無言で意思表示をしていただけなのだった。