桃の木荘のアイドル!
第一章 アイドルゲームでアイドル(卵)爆死
第二話 出会いはアイドル(車内)
何も知らない加藤未徠にしてみれば、爆死の意味など分かるわけがない。
若い女の子がサウナ状態の部屋の真ん中で、助けを求めるようにスマホひっつかんで、フローリングの床に倒れて、苦しいと泣いているのだ。
常識人の彼の取る行動はただ一つ。
救急車を呼ぶ事であった。
「わかりました。すぐ救急車を呼びますからね。安心して」
未徠はそう言って、唯愛の返事も待たずに、自分のスマホを取り出すと、迷わずに119番を押した。
「へッ!?」
さすがに、唯愛は動揺を見せたが、未徠は有無を言わせなかった。暗く締め切った部屋の窓を大家権限で勝手に開ける。
夕暮れ時のいくらかは涼しい風が、ほこりっぽい部屋の中に吹き込んできて、新鮮な換気になった。
「エアコン、壊れてるんですか? 早く修理しないと、健康に差し支えが出ますよ。大丈夫? 熱中症かな」
未徠はテキパキと隣のキッチンから水をコップに汲んできて、唯愛の前に差し出した。熱中症の手当については、彼は大学の時に講習を受けていて、一通りの知識はあった。
唯愛は変な汗をぐっしょりとかきながら、今更のように上半身を起こして、目を白黒させながら、未徠の方を見た。
「だ、誰……?」
「大家の加藤です。三月分から、家賃払ってくれてないよね?」
「あぅ」
唯愛はそんな声を立てて、ますます顔色を悪くさせる。真っ青な顔で怯えたように未徠を見上げた。
「水、飲める? 水分足りているか?」
水道の水だが、飲まないよりはずっとましだろう。未徠は、とりあえずは上半身は起こせる唯愛に向かって、水をすすめる。
「え、あの……その」
「水、飲んで。それと、体を冷やせるなら冷やした方がいいんですがね……」
それより以前に、衣服をゆるめて体を楽にさせなければならないのだが、この密室状態で、女子高生に23歳男性が、そんなことをしていい訳がないと思い込み、未徠は思わず唯愛の様子を窺った。
想像以上だった。
女子高生と言ってもピンキリで、容姿など千差万別であることは、未徠はずっと共学の学校に通っていたので知っている。それで、女子高生の一人暮らしと聞いて妙な気はしたが、その娘の容姿など考えてはいなかった。どうせ普通の女の子だろうとたかをくくっていたのだった。
それが、違った。
後になって、唯愛の本業を聞いた時に納得出来たが、森村唯愛は、未徠が滅多に見かけた事のないレベルの整った容姿を持っていた。
こう言ってはなんだが、美少女だった。
長いさらさらした黒髪を、暑いのか、両耳のところでヘアゴムで結んでいる。その、アニメチックなツインテールがよく似合う。明るい栗色の大粒の瞳は今は濡れて輝き、すっとした気持ちの良い鼻、何も塗っていないのにぷるぷるとしているピンク色の唇。顔の造形だけでも、美少女アニメに主人公として出てきそうな空気だ。
その上に、手足はすらりと均整が取れて長く、腰は柔らかいラインを描いてくびれ、出るところはしっかり出て、それだけで上品で女性らしい仕草を感じさせていた。唯愛はこの季節に室内なので、タンクトップに短パン姿であった。
(こんなレベルの子が、二階で一人暮らし……? 親は何しているんだよ。家賃滞納しているけれど、何かヤバいバイトでもしていないだろうな……)
一瞬、未徠はそんな考えがよぎった自分の頭がヤバいと思い、首を左右に振った。
「あ、すみません。お水、いただきます」
そこで、熱っぽくかすれた声で唯愛はようやくそう言った。
そしてコップ一杯の水を、勢いよく音を立てて飲んだ。今にも咳き込みそうな勢いだ。
「大丈夫?」
「はい、あの……」
唯愛は流石に恥ずかしそうに俯いている。
夕方の換気はしているものの、やはり室内は蒸し暑いのか、汗がひける気配がない。
未徠は自分のジーンズのポケットからハンカチを取り出し、キッチンに行くと流しの水道の水をかけて、固く絞った。
「はい。これで、汗噴いて、体の暑苦しいところに当てるといいよ」
親切にも未徠にそう言われて、唯愛はびっくりした顔をした。それでもおずおずと手を差し伸べて、未徠の水で冷たいハンカチで、自分の首の周りなど汗が酷い部分を拭き取った。
「あ、ありがとうございます」
「意識はしっかりあるようだけど、熱中症? どうして、部屋の真ん中に倒れていたんだ?」
未徠は、心配そうな顔でそう尋ねた。
不意に、唯愛の顔が歪んだ。可愛らしい顔をくしゃくしゃにして、唯愛は床の上に寝そべるような姿勢になり、泣きじゃくり始めた。
その間もスマホを手から離す事はなかった。
「ど、どうしたんだ!? 大丈夫!?」
「く、苦しい……」
唯愛はそれだけを繰り返した。
「大丈夫ですか!? 森村さーーんっ!」
しきりに胸の苦しさを訴える唯愛と、慌てふためく未徠のところに、救急車が到着するのはその三分後の事であった。
唯愛は生まれて初めて、担架というものに乗せられ、そのまま救急車のベッドに寝かされるハメになった。本人はその間も、すすり泣いていた。よっぽど苦しいのだろうと思い、家賃の事もあって、未徠は救急車に同乗した。
救急車の職員には、アパートの管理人ですと断った。
救急車のベッドで泣いていた唯愛だったが、意識が清明であることを確認されると、早速、用紙を開いた救急隊員に、何があったか質問を受ける事になった。
「--森村唯愛さん、16歳ね。それで、どうしたの?」
「はい……」
涙をこらえて唯愛は言った。
「三日ほど家を出ないで、スマホでアイドルゲームをして、伝説のアイドルを手に入れようと、万単位の課金をしたところまでは覚えているんですが」
「……」
「それを全額スってしまって爆死したんですが、その後の記憶はありません」
「……」
「気がついたら、その大家の人が、家の中にいて、すっごい驚いたんですけど、何もなくて良かった……」
さりげなく酷い事を言われた未徠は微妙にカチンときたが、そのほかにもツッコミどころがたくさんある、というよりも、ツッコミどころしかない話を聞いて、唖然として何も言えなかった。
「あー、えー。森村唯愛さん。16歳って、君……7月だけど、まだ夏休みには早いよね? 学校はどうしたんですか」
救急隊員が聞き取った事を用紙に書き付けながらプロのポーカーフェイスでそう言った。
それに対して唯愛はこう答えた。
「学校にはいってません」
「え、それじゃ仕事は?」
「……私」
そこで、唯愛は一回、言葉を切り、二秒ほどタメを作ったあとこう言った。
「私、本業アイドルなんです」
「はい?」
未徠は思わず聞き直していた。学校には行っていないと聞いた時、咄嗟に、不登校児かと思ったのだ。だが、出てきた言葉は全く違っていた。確か、親も、高校生だと言っていたはずだが……。
「アイドルです! アイドルが、アイドルゲームにはまって、十万以上課金しちゃいけないって法律があるんですか!」
怒った顔で唯愛はそう叫ぶように言った。
思わず噴き出したのは救急隊員だった。アイドルがアイドルゲームに課金して、なんだって?
「ア、アイドル……って、君!?」
「うちの家賃の使い道はそれか!?」
条件反射で未徠はそう叫び返していた。
今の話の流れから考えるとそれしかない。ソシャゲに課金して家賃を犠牲にしたと、ネット情報で何度か見た事があるが、まさか自分がそれに遭遇するとは。それもアイドルの女の子がアイドルゲームに廃課金で爆死。
「家賃?」
狭い救急車の運転手が反射的にそう聞き直してきた。
「そうだよ! 家賃つぎ込んで、天羽花月ちゃんに貢いだんだよ、悪い!? ついでに言うなら、最後に外に出たのが三日前だから、この三日、飲まず喰わずでひいたよ! ひいたんだよ! ガシャひきまくったんだよ。それなのに出なかったんだよ、花月ちゃん! マイアイドル! マイ天使の花月ちゃん!! どうしてくれる!!!!!!!」
真っ赤な顔でまくしたてる16歳アイドルの言葉にもう何も言えない未徠であった。とりあえずこう言った。
「や、家賃……家賃払ってからガシャ回して?」
こらえきれずに、ベッドの隣で必死に笑いをこらえていた救急隊員が、腹をおさえて震えながら笑い始めた。運転手も声を立てて笑い始めた。笑っている救急隊員の声を聞いているうちに、ついには未徠も笑い出してしまった。声を抑えて笑った。唯愛以外の全員が笑った。
その瞬間、森村唯愛は明らかに、アイドルの本業「みんなを笑顔にすること」を、その身を犠牲にして達成していたのであった……。