今、ここに生きる星-転生したら養女モブ!-
第一章 幽霊少女は英雄を救う
第六話 幽霊少女、がんばる!
アンハルト侯爵家の挨拶巡回が終わった。
最後の方で、遅れて登場した王家の三姉妹にも挨拶をしてきた。
バハムート帝国の皇帝には三人の娘がいる。まずは第一皇女のアルマ。アルマとは通称で、本名はアルマース・リーンという。
そして双子の従姉姫。故あって皇帝一家に引き取られているが、本来は母方の地獣人の姫の娘だ。皇帝にとっては姪に当たる。
姉をイヴ。アティーファ・イヴティサームが姫としての名前だが、帝国の民からはイヴ姫と呼ばれ親しまれていた。
妹をマリ。マルヤム・ウルードが通しての名前だ。やはり帝国の民からはマリ姫と呼ばれ、敬愛を受けている。
エリーゼは初めて会う姫君達には緊張してほとんど上の空になってしまい、挨拶や会話は全て養父母に任せてしまった。本当に、うっとりするほど美しい姫達だった。それが、魔大戦では、男性である英雄たちと肩を並べて堂々と魔族と勝負したとは。……まあ、漫画なんだけれど。
軽快な音楽が流れ、新年のご馳走が次々とテーブルに並べられていく。
そろそろ正午を回ったのだ。
どのテーブルにもプレッツヒェンやレープクーヘンが山のように盛られた皿があり、戦勝を表すのか、それらのクッキーの表面にバハムートの印章がアイシングで描かれていた。
切り分けられたシュトーレンは香ばしく焼き上がっており、団子状の蒸しパンのダンプフヌーデルも同じくテーブルに分けられた。それが腹に重すぎる人のためには、パリパリとした薄いピザ、フラムクーヘンが振る舞われた。
焼いたソーセージはやはり薄いパンに挟まれてマスタードを添えられていた。リンゴのピューレを添えられたライベクーヘン、焼きマッシュルーム炒め、焼きアーモンド、それにフルーツチョコレートにベイクドポテト。
五日間も続く無礼講と言うことで、軽食が多かったようだが、そのどれもが、バハムートや、帝国の勝利を想起させるシンボルを刻まれるか描かれていた。
セッティングされている皿には花が盛られ、飲み物も豊富にあった……それこそ、湯水のような勢いであった。
ビール、グリューワイン、アプフェルワイン(リンゴ酒)、酒が苦手な人間にはホットチョコレートやフルーツジュース。
鯉料理のカルプフェン・ブラウ。ガチョウの丸焼き。サイコロ上に切った赤カブのピクルスのサラダ。
エリーゼの暮らすデレリンでも宴はあるが、さすがに帝国の王城の無礼講となると規模も違えば迫力も違う。次々と出てくるご馳走の数々に、エリーゼは圧倒されてしまった。ハインツも、今年の戦勝祝いのような華やかさは知らないと言っていたが、なれたもので、エリーゼに鯉料理を厚く切り分けて取ってくれた。エリーゼは見ているだけで胸がいっぱいになり、クッキーのプレッツフェンとレープクーヘンを一枚ずつと、フルーツジュースを飲んでごまかしてしまった。
アンハルト侯爵たちのテーブルにも次々と人が来て、養女であるエリーゼを物珍しそうに眺めるからだ。緊張してしまって、食べるどころではない。中には、貴族らしい若者が、エリーゼをダンスホールに誘うこともあったが、とんでもない話だった。こんな大勢の人混みの中、華麗な舞台で踊るなんて考えた事もない。
そのダンスの誘いが、気を重くさせて、エリーゼは隙を突いて逃げ出した。アンハルト侯爵夫妻から。
無礼講の会場ではぐれたふりをして、壁の方に向かっていった。幽霊のようにひっそりとしたエリーゼは、気配を消す事は得意であるから、たちまち人混みに埋もれてしまった。あっという間に会場の反対側の壁に着いて、そこにもたれかかり、ほっと深呼吸をした。
どこまでも続く人の波と、ざわめき、笑い声。そしてその向こうに、華やかに着飾った年頃の令嬢たちが、少し年上の青年たちに手を取ってもらって、美しいワルツを踊っている。
そんな姿を見れば、素直に素敵だと思うが、自分が中に入ろうという気持ちには全くなれなかった。
しばらく、エリーゼは、笑いさざめく新年を喜ぶ人々と、戦勝を祝う若者たちのダンスを遠くから眺めていた。同じ会場にいるのだが、エリーゼにはまるで異世界の出来事に思えた。自分とは関わりのない人々。
(私って、どこの子どもなんだろうな……友原家の記憶があるから、私は友原のゆりなのかな。それとも、エリザベートなのかしら。私と同じような人間って、このアストライアに、他にいるのかな。現代日本から転生したのは、私一人なんだとしたら、それって、凄くさみしい……)
笑い合う人々と、自分は、はっきりと違う。記憶を取り戻した時から、それを意識しなかった事はない。
(私……ここにいていいのかな……)
いつもの不安が襲ってきて、エリーゼは顔を曇らせた。
それを、ハルデンブルグ伯爵やアンハルト侯爵に告げた事はない。それを打ち明けるような友達もいない。ただ、腹の底ではいつも考えている。自分は、ここにいていい人物なのか。
(私は、アストライア以外の世界の人間。かといって、現代日本には戻れない。ここにいる人たちの誰とも、私は違うんだ。寂しいけれど……)
そう思って、距離を置いてしまう背景には、当然のごとく、前世の炎上地獄がある。
毎日毎日、目に見えない敵と戦った日々、中学校を追い出されたも同然の日々がある。
(帰ろう。ここにいても、気分が暗くなっちゃう。父上たちには、あとで、人に酔って頭が痛くなったとでも、言っておこう)
エリーゼは、壁から背中を離し、こっそりと、アンハルト侯爵夫妻の視界に入らないように気をつけながら、パーティ会場を移動して外に出た。
広大な王城。新年の華麗で威厳にあふれる飾り付けが、城全体に施されている。
その美麗な廊下を、エリーゼはそっと静かに歩いて行った。城が新年を迎えるためにちり一つ残さず掃除され、何もかもが光り輝くほどに美しいだけに、エリーゼの幽霊のような姿はかすんで、誰にも気づかれなかったといえる。
エリーゼは、侯爵に、来る途中で、王城では今回、馬車のサービスをしているということを聞いていた。はぐれた時はそれを利用して帰宅しなさいと教えてくれたのだ。単純な話で、貴族・庶民に限らず、パーティ参加者は無料で馬車に乗せて帰してくれるというだけの話である。要するに宴会の送迎タクシーか、とエリーゼは把握していた。
それで、そのタクシー乗り場に当たる出口を探して歩いたのだが、ぼんやりと、(私はここにいていいのだろうか、私はどうしてここにいるんだろう)という、十五歳の哲学的命題(別名中2病)をしていたため、いつの間にやら、目印を見失っていた。
気がついた時、エリーゼは、城の一階の厨房の前の廊下に立っていた。
(あ、あれ……? おかしい。ここは確実に、タクシー乗り場じゃない。なんでこんなところにいるんだ、私??)
私はどうしてここにいるんだろう、と言われても、ぼさっと考え事をして歩いていたら目的地への目印を見失っただけである。その状況にはたと気がついて、エリーゼは真っ赤になった。
城の厨房へのドアは半分開いていた。使用人たちがしきりに出入りして料理を運んだり他の用事をしたりしているため、自然と開いているようだった。
「待ってください、厨房長。それはない! さっき、ハンナに持たせた特別の料理って、アスランを……」
突然、そんな声が聞こえてきた。
(アスラン?)
エリーゼは耳ざとくその単語を捉えた。アスランと言ったら、英雄アスランの事だろう。何やら緊迫した様子で、厨房の方からアスランの話が聞こえてくる。
エリーゼは足音を忍ばせて声の方に行ってみた。廊下の片隅の暗がりに、二人の男がいた。
「そうだ。ハンナは何も知らない。だから、お前も知らない事にしろ!! これは命令だ!!」
「命令だって従えない事があります。アスランに死んでもらおうなんて、とんでもない……!」
(死んでもらう?)
びっくりしてエリーゼは通路に飾られている大きな観葉植物に身を寄せた。観葉植物は数メートルごとにワンパターンに設えられている。
ハンナとは、恐らく、厨房付のメイドか誰かだろう。そういうふうに受け取った。
そこは、知らずに迷い込んだ、巨大な城の厨房の手前の通路だった。通路の突き当たりの片隅で、どうやら厨房のトップと使用人の一人が言い争っているらしい。
厨房の戸口は離れたところにあり、そこを出入りしている使用人達は忙しすぎるのか、この二人には気づいていない。
「仕方ないだろう。俺も命令されたんだ。ここで、英雄だろうがなんだろうが、アスランの皿に毒を盛らなかったら、俺を首にしてやるってな! あの悪徳大臣どもが!!」
厨房長は厨房長で苦しんでいるらしい。
「……! 脅されていたんですか……!!」
「…………」
ほんの数秒、重苦しい沈黙があった。
「そうだ。大金を受け取ってアスランを毒殺するか、口封じに首になって月のない夜は表を歩けない身分になるか、どっちかを選べってな。俺だって、命は惜しい。まだ、うまい飯を食いたい、作りたい。しょうがねえだろう……?」
いくらかトーンダウンした声で厨房長はそう言った。
「だからといって、人殺しをしていいって法には……」
抗弁する若い(らしい)料理人の声にも覇気がなくなってきている。
「なあ、ヨハン、金ならやる……金を山分けにしよう。だから黙っておいてくれ。ハンナは、何も知らねえ。あいつの持って行ったワインと鯉料理を食べたら最後、英雄とはいえ毒にはかなわずコロッといってしまう。お前さえ黙っていれば、後はハンナが片付けてくれる……」
「そ、それは……」
ヨハンと呼ばれている若い調理人は、厨房長から金を受け取りかねない空気だ。
エリーゼはもう聞いていられなかった。まるで時代劇の一幕のような話だったが、これは、彼女にとってはリアルの出来事だった。
アスランが、暗殺!!
「ハンナが……毒の事も何もわからないハンナが、英雄殺しの下手人になるっていうんですか。あいつ……去年、子ども産んだばっかりじゃないですか……」
ヨハンが、消え入りそうな声で言った。だが、自分でも、もうどうしようもないと思っているようだ。
(ちょっと待って。まだほんの赤ちゃんの子どものいる、お母さんが、何も知らずにワインと料理を運んだだけで、アスラン殺しの犯人になるっていうこと? 本人は何も悪くないって言うのに。そんなことってありえるの?)
扉にぴったりとくっつきながら、エリーゼは胃が震えるような衝撃を受けた。クッキーとジュースしか食べないでよかった。ここまで話を聞いただけで、具合が悪くなりそうだった。
「余計な事を言うな、余計な事を考えるな。俺らは、命令に従ってさえいればいいんだ。ものを考えて行動するっていうのは、そういうことを許された人たちだけしてりゃいい。……お大臣様の考えることはわかんねえ、って、しらばっくれていろ」
厨房長はそういうことを言った。