今、ここに生きる星-転生したら養女モブ!-
第一章 幽霊少女は英雄を救う
第一話
エリーゼは息を詰めた。
このまま、知らんぷりして帰る事も考えた。--その方がいい。自分と、アスランは何も関係がない。何も聞かなかった事にして、彼の問題は、彼に任せるのだ。絶対、その方がいいと思えた。この国の大臣が、英雄殺しを考えて実行したなどと、一生、黙っていればいい。
「しばらく、会場には近づくなよ……毒で死ぬのは、苦しいからな」
そのとき、なにげなく言った、厨房長の言葉が耳に残る。
やりきれなくて、エリーゼはその場を離れ、息を潜めて廊下を歩き出した。タクシー乗り場を探して。……幽霊のようにひっそりと、影の薄い姿で、足音を立てずに歩いた。歩きながら、先ほどのアスランの顔を思い出した。厨房長の声が聞こえた。
「毒で死ぬのは、苦しいからな」
……苦しいからな……
苦しかった。
自分が、死んだ時の記憶。15年経ってもトラウマになっているぐらい、苦しかった。
ガスで……ガスを吸い込んで死ぬのは苦しかった。
その思いを、他人に味わわせる? 出来ない。
国を救ってくれた英雄に、あの苦しさと惨めさを味わわせる? 意味ない。
エリーゼは跳ね上がったように走り出した。パーティ会場に向かって。
途中で、料理を取りに来た使用人にすれ違い、パーティ会場への近道を聞いた。もう道に迷う事はなかった。エリーゼは、ハイヒールを脱ぎ捨て、ストッキングの足で走ってパーティ会場に駆けつけた。
皆が、何事かと思ってエリーゼを見た。それどころではなかった。
エリーゼはジョルディの姿を探し、未だ、仲間とたむろしているジョルディの方に一直線に走って行った。
ちょうど、若いお母さんと言っていい容貌のメイドが、アスランに盆を携えて持って行くところだった。
アスランは笑顔でメイドに礼を言い、何事か雑談した。
それが、見えた。
そしてアスランは、メイドの盆からグリューワインらしきグラスをとり、何やら仲間と冗談を言いながら……メイドも何も知らずに一緒に笑っている……それを飲み干そうとした。
そこに、エリーゼは追いついた。
「待って!!」
そう叫ぶなり、エリーゼはアスランからワイングラスをひったくった。
ワインがわずかにこぼれた。
そこに、熱帯魚の水槽があった。パーティの観客の観賞用である。帝国の版図には熱帯魚の地域もある……その熱帯魚の水槽に、エリーゼは残ったワインをぶちまけた。
唖然として声も出ない人々。
その人々、アスラン、甲、志、リュウ……メイドのハンナ。彼らの前で、ぷかぷかと熱帯魚たちが色とりどりの腹を見せながら水面に浮かび上がっていく。どの魚も、一瞬にして死んでいた。
さらに、エリーゼは盆にあった鯉料理を水槽に放り込んだ。残っていた熱帯魚と、南海の亀が死んだ。色を変えて即死した。
「毒!?」
志が叫んだ。
暗殺されかかったアスランも、即座にそれを理解した。
「毒! なんで毒が運ばれてきたの!!」
志が騒いだ。気が動転しているらしい。
「よければ、少し話をうかがいたい」
真っ青になって硬直しているハンナに甲が話しかける。アスランはハンナの方を見た。そこでエリーゼがジョルディに飛びつくようにして、捕まりそうなハンナとの間に立ち塞がった。
「待ってください。彼女は料理を運んだだけなんです。悪いのは……」
そこまで勢いよく言いかけて、エリーゼは口ごもった。厨房長の言った、「悪徳大臣」って誰のことだ? このパーティに参加していたらどうする? そこまでは、考えていなかった。
「何か知っているのか、アンハルト嬢」
甲がきつい眼差しをエリーゼに向けた。エリーゼは、ますます声が出なくなった。自分は厨房の方にいって、話を立ち聞きしただけだ。それで偶発事故でこんなことになって……。大勢の人々の注目も浴びている中、子持ちのハンナをかばっているのはいいが、今にも気絶しそうな緊張と不安を感じてしまう。
甲がエリーゼの方につかつかと近づいてきた。背後でメイドのハンナがひっと小さな声を立てた。確かに、ただならぬ空気だった。エリーゼは、自分の知っている事情をどう説明しようかと、頭の中でぐるぐると考えていた。ここで大声で言っていい事だろうか。
甲がエリーゼの手に持ったままのからっぽの皿を取ろうとした時、アスランが割って入った。
アスランは甲を止めて、エリーゼの方をしっかりと見た。
「エリザベート。ずいぶん、顔色が悪いが、大丈夫か? それに、裸足だし」
アスランはそう言って、何気なく、エリーゼの額に触れた。どうやら頭の熱を測ろうとしたらしい。その手が触れた途端、緊張が限界まで高まって、エリーゼは後ろにひっくり返りそうになった。いわゆる、腰が抜けたというやつだ。
「危ない!」
アスランがそのエリーゼの細く小さい体を片腕で軽く抱き留めた。背中に手を回して支えてくれる。
漫画のように目がくるくる回ってしまうエリーゼ。
声なんか何も出ない。
「危険だ。これは一度、救護室に連れて行った方がいいだろう」
リュウがそう言って、甲と志に目配せをした。アスランはそれを見て顔をしかめた。エリーゼ同様、彼女の事を何か疑っている空気を感じたのだ。
「エリーゼ! ……エリーゼ!!」
そのとき、騒ぎを聞きつけたハインツとラーエルが、顔色を変えて駆け寄ってきた。彼らには何も事情はわかっていない。ただ、娘がアスランたちに何かしたようにしか見えないのだろう。
「アンハルト侯爵。エリザベート嬢が、貧血を起こしたようです。これからリュウが案内しますので、救護室にお嬢様を」
そこで、アスランがそう言ってくれた。養い親といえど親は親。エリーゼはほっと一息をついた。
それから程なく、リュウに連れられて、アンハルト侯爵親子は城の救護室に向かい、そこでエリーゼはベッドに寝かされながら、ハインツと色々と話をすることになった。隣でリュウが聞いていたが、親たちが見てくれているので安心して話す事が出来た。
その間、パーティ会場では、アスランが甲とともに、ハンナの身柄を安全に確保したり、別の意味で色々と話があったらしい。
ハインツは、嘘をついている様子でもない、養女の話をよく聞いて、情報を精査した後、それをアスランたちの方に持って行った。アスランたちも、そのときにはハンナは何も知らない、ただのお母さんだということがはっきりしていたらしい。当然、毒を盛られた料理の出所は厨房であるから、すっかりそちらに手配がいき、エリーゼの証言がとどめとなって、厨房長が新年早々しょっ引かれる事となったのだった。
エリーゼが具合がよくなったのは夕方過ぎの事だった。
もう、王城の周囲は日が暮れていた。世界は紫色の宵闇に包まれ、夜空に星が輝いていた。
そんな頃合いになって、ラーエルに介抱されたエリーゼは、やっとのことで起きだし、ハインツのエスコートに任せてパーティ会場に戻った。
そこでは、アスランが、やっと事件を一段落させたところだった。
大勢の女性たちに囲まれ、心配されているアスランは、まるで昔絵本の中で見た、太陽神とその光に魅了されたニンフたちのように見えた。エリーゼは、別世界だと思った。いつものように、自分と彼との間には、見えない世界の境界線があると思って、身を引いた。
(私はここにいていい人間じゃない)
(私は他の人とは違う……)
そんな、強い強い自意識過剰と被害者意識。
「エリーゼ!」
そのとき、アスランが誰よりも早く、エリーゼの登場に気がついた。
「エリーゼと呼んでいいよな? ありがとう。お前は、命の恩人だ」
エリーゼが返事をするよりも早く、アスランは気安く彼女の名を呼んで、ハインツの手から少女を奪い取った。
「踊ろう、エリーゼ。次の曲は、俺の好きな曲なんだ」
「ま、待って……私、ダンスなんか……」
「俺に任せろ」
アスランは体を動かすことなら何でも得意だった。エリーゼは、運動不足気味だった。だが、そんなことは気にするなといわんばかりに、アスランはダンスホールの中央へ彼女を連れて行った。
途端に、軽快なワルツが演奏され始める。その曲名を、エリーゼはいえない。今まで、どこかのパーティでダンスを踊るなんてことは一度もなかったから。知らなかったから。興味がなかったから。今までは。
--今までとは何もかもが違う日々が、始まる。
おぼつかない足取りでアスランの動きに合わせながら、エリーゼは、彼の腕の中で、初歩的なダンスのステップを踊った。
踊りながら、焼け焦げてしまいそうだと思った。あまりの羞恥と、胸の高鳴りに。
彼の、宵闇にあっても、青空のように光り輝く瞳を見ているうちに、……焦げて焼死しそうだった。だが、誰も彼らの事を笑わなかったし、怒らなかった。皆が、拍手しながら見ていた。皆が、優しく受け入れてくれていた。皆が、アスランとエリーゼを歓迎してくれていた。
そんな、新年の幕開けだった。