ないとなう! とは(6)帝国と種族の歴史
愛妻、と書いたが、アルタンツェツェグ姫は、小さいが、一つの国とも言えるガザル自治区を、取り仕切るだけの実力と、外交にも役立つレベルの如才のない話術、明るく楽しい性格と粘り強さを持つ女性であった。狼の耳と尻尾を持っていたが、彼女は賢い狼だと言うことだ。
天真爛漫を通り越して天衣無縫、自由奔放で、時として居丈高なビンデバルド一族の姫しか知らなかったアハメド一世にしてみれば、控えめな知性と優しさを持つアルタンツェツェグ姫は新鮮で、最初はお互いに政治上の目的が合致していたため結婚したのだが、たちまち本当の恋愛関係に陥ってしまったのである。
アルタンツェツェグ姫は、地獣人の地位向上と、ガザル自治区が万年抱えている帝国との縄張り問題から始まる諸問題を解決するために、アハメド一世からの申し込みを受けたのだが、彼女にしてみれば、アハメド一世の進取の気性や決断力、正義感や意志の強さは、魅力的であった。彼の意志と努力があれば、永遠に解決出来そうもないと思った人種差別も、何とかなりそう、少なくとも今よりは何とかなる! と思えるのが不思議だった。
また、ガザル自治区には、帝国の体系には全く属さない、数々の魔法や呪術、秘術があり、姫長であるアルタンツェツェグはそれを熟知してあらかた使いこなす事が出来たのだった。
帝国の大貴族であるビンデバルドは、風を中心として数々の魔法の秘伝を持っている。それに対抗する必要もあったので、地獣人の姫を迎えたということもある。
そういうわけで、アハメド一世と、アルタンツェツェグ姫の間には、男の子と女の子が一人ずつ生まれた。
先に生まれた男の子がアハメド二世。父の跡継ぎでる。
妹をサーリヤ姫と言い、生まれつき、アルタンツェツェグ姫同様に、ガザル自治区の精霊の加護を受けていた。--サーリヤの場合はそれが問題であった。
アハメド一世は、アハメド二世が満六歳になると同時に、早速、彼を立太子させる。
その翌年、アルタンツェツェグ姫は呪い殺された……。
アルタンツェツェグ姫は祝福と呪詛を自由自在に使う姫であったが、その顔に泥を塗るように、呪術を使って殺されたとされている。
ちなみに、アルタンツェツェグ姫の結婚後は、異例の事態ということで、妹のナランゲレル姫が、姫長としてガザル自治区を取り仕切っていた。そのナランゲレル姫が、甥と姪を守るために、一時期、帝城に滞在していたときがある。
そのときに、アハメド二世は、優しかった母を呪い殺したのは誰か、何人いたかと尋ねた。
ナランゲレル姫は、「12人」と、聡明に輝く瞳を伏せて答えた。
たった一人の女性を十二人でタコ殴りにして殺したも同然だったという意味だ。
アハメド二世は、生涯、そのことを忘れるつもりはない。
そういうことを忘れない、アハメド二世であったが、非常に明るく、いつも機嫌のいい人物であることで有名であった。実際に、帝国の正史においても、記憶力がよく父親に似て決断力と勇気に富んだ皇帝であったと書かれているが、同時に、父親よりも陽気で、尾を引かない人物であったとも書かれている。
何でそうなったのかというと、それは、地獣人の血を引いた皇帝ということで、子どもの頃からそりゃあもうとんでもない事件が勃発しっぱなしで、妹ともども、父よりも苦労したぐらいだったからである。
アハメド二世だけではなく、サーリヤ姫も、若い頃から、猫耳と猫の尻尾を持つ事で、
随分とからかわれたし、「皇女の身でありながら」という枕詞で延々と続く説教や批判を受けた事もあったのだ。
結果として、アハメド二世は物事にこだわらず尾を引かない寛大さと豪胆さ、それと自分の意見を簡単には変えない、熟考してから物を言う癖と意志力を持つ事となった。
だが、サーリヤ姫の方は、どうも、イクバル五世に似たのか、優しく控えめで、声が小さい性格であった。優しさの裏返しで非常に繊細で、色々と思い悩む時も多かった。
アハメド二世は狼耳と尻尾を持つが、サーリヤ姫が何故猫耳尻尾なのかについては、後述する。
アハメド二世は六歳で立太子したが、十八歳で、ガザル自治区のエンヘジャルガル姫と婚約した。
アハメド一世により、原始林ばかりと言われがちなガザル自治区の開発計画が始まって数年、とある計画を追加するために、名代として、若いアハメド二世が後学のためにもと差し向けられたのである。
そのときに、通訳と秘書役をしたのがエンヘジャルガル姫である。アハメド二世は、ガザル自治区の言葉について片言しか喋られなかったのだ。ナランゲレル姫の片腕……次期姫長と目されていたエンヘジャルガル姫がサポートについたのである。
アハメド二世は、この、母と同じく狼耳と尻尾を持つエンヘジャルガル姫にぞっこんになってしまった。
狼の形だけではなく、エンヘジャルガル姫は、姫長に目されるぐらいであるから、頭もよければ顔もよく、健康で、控えめで上品な人間的魅力に満ちていた。色々な意味で、彼が七歳の時に亡くなった、アルタンツェツェグ姫によく似ていたし、能力的には、アルタンツェツェグ姫以上と言われるぐらい出来が良かったのである。
つまり、ママのいいところを全て持っていて、その上をいけそうな女性ということだ。
ちなみにガザル自治区には、地獣人の大小七部族ほどが生活しているが、そのトップである姫長は、各部族の族長による厳正な審査によって選ばれる。血縁関係から選ばれる風習はない。突如結婚したアルタンツェツェグ姫の後継者に選ばれたナランゲレル姫ぐらいしか例外はないと言われる。それだけ、能力主義で選ばれる女性が、皇太子の心を二代続けて射止めたというわけだ。
ナランゲレル姫は、アハメド二世が、姫長として育てたエンヘジャルガル姫を選んだ事にはびっくりしたが、エンヘジャルガル姫も、アハメド二世を憎からず思っているという意志を確認し、結婚はまずなんといっても、二人の意志が大事だという事で、後押しをすることにした。
エンヘジャルガル姫が去った後は、通常通り、ツェツェグという実力ある姫が選ばれ、現在もナランゲレル姫から訓練を受けている。
エンヘジャルガル姫はアハメド二世と同い年の18歳。婚約には早くも遅くもない年齢である。
アハメド一世は、何はともあれ、皇太子がビンデバルドの姫を選ばなかった事にほっとした。勿論、アハメド二世の方は、エンヘジャルガル姫だけではなく、ビンデバルド宗家の娘、シュテファニーに、強引なぐらいのアピールは受けていたが、どうしてもその強引さ、必死さに、戸惑ってしまっていたのだった。
それから十二年後、アハメド二世とエンヘジャルガルが三十歳の時に、還暦を迎えたアハメド一世は、息子に譲位する。
その即位式に、妹姫サーリヤの姿はなかった。
サーリヤ姫は、アハメド二世と彼女の従兄に当たる、シャムワーズという青年に二十歳を越えた頃に嫁ぎ、双子の姫を産んだのだった。アティーファ・イヴティサームと、その妹マルヤム・ウルードである。
その結婚生活は、幸せだとは言いがたい事ものだった。
簡単に言うと、シャムワーズは、サーリヤ姫の存在自体が内包している地獣人の差別問題と、徹底的に相性が合わなかったのである。
双子を身ごもった頃から、シャムワーズは特定多数と不純異性交遊を繰り返した。どれも風精人の美しい姫ばかりだったという。
そうして、次第に始まるのがあらゆる形の経済DVと精神DVとスタンダードなDVである。時として、まだ乳幼児の双子姫でさえが、さらされる危険があったという。
当たり前だが、サーリヤ姫の扱いに憤った皇帝アハメド二世が何度も、仲裁に入ったり、シャムワーズを問い詰めたりいさめたりしたのだが、シャムワーズの方は、
「こんなことになると思わなかった」「そんなつもりはなかった」
などとそればかりなのであった。いかな皇家の一員とは言え、非常に微妙で繊細な問題で、何よりも、当時、アハメド二世は即位はしていずただの皇太子。
それに対して年上の従兄シャムワーズは、兵部大臣であった。兵部。即ち軍部のトップ。
それで、なまじサーリヤ姫とその娘を人質に取られているような側面もあった故に、アハメド一世と二世が攻めあぐねているうちに、元から腺病質で繊細だったサーリヤ姫はだんだん食事を取らないようになって透き通るように死んでしまった。兄の即位も待たずに。
……母に続いて、妹まで、アハメド二世は失った。
母も、妹も、何も悪い事などしていなかった。
そういうわけで、アハメド二世は、父に続いて、皇帝の権力強化と、国をよい方向に導き平和に運営することに専心する皇帝であった。アハメド一世は、決断力と行動力がある分、やや短気でそそっかしい面が目立ったが、息子の方は、いつも機嫌が良く、誰にでも明るく楽しい態度を取るように進化していた。自分から、父の長所と短所を学んだらしい。父の良い所は良い所で学んだが、気性が荒くせっかちと言われがちだったので、そこを自力で克服したのがアハメド二世だった。同時に、何も悪い事をしていない母と妹が、とんでもない死に方をしたことも、人生訓になっていたらしい。
一度きりの人生、楽しまなきゃどうするということだ。
そのアハメド二世と、優しく賢いエンヘジャルガル姫が、双子姫のイヴとマリを引き取って育てる事にした。このとき、イヴとマリはそろって二歳である。
その翌年に生まれたのが、アルマース・リーン。--皇位継承者第一位となる女性である。
そういうことは、神聖バハムート帝国に所属するユーザーならば、ミッションをこなしていけば次第にわかることである。のゆりの方は、ないとなう! でその事情がまだ明らかにされていないので、龍一からさわりだけ聞いている状態だ。
そのアルマース・リーン。通称アルマが、名前とシルエットだけを出すのが5巻冒頭。
「甲。帝国から魔を打ち払ってくれ」
影だけの女性が、甲にそう告げる。
そして、甲は、彼女のために千里の道さえも踏破したと言われる……。