今、ここに生きる星-転生したら養女モブ!-
第一章 幽霊少女は英雄を救う
第二十二話 薔薇の庭で (2)
百科事典50巻に比べれば、使用人が一度、屋敷の設備を紹介するかたわら、庭で育てた冬の薔薇を、貴族のお嬢様にすすめてみる仕草をまねっこするなどお茶の子さいさい、エリーゼは本当の意味で歩く百科事典なのだ。現時点で。
「その薔薇の色、エリーゼの肌の色に似ているな」
緊張してうわずるエリーゼの前で、アスランはそんな事を言ってのけた。
「……!」
エリーゼは声も出せずに硬直してしまった。
とにかく、この間、使用人が自分に失礼のない仕草でしてのけた、薔薇の紹介をしてみようとするが、手がこわばって口がうまく回らない。
ウエディングドレスという白薔薇の前で、アスランに誉められながらそんなことを言われてしまったと思うと、足が地に着いていないような、頭が煮えてしまいそうな、凄く変な心地になる。気持ちが悪い訳では全然ないんだけれど……。
「どうした、何か変な事を言ったか?」
真っ白な肌を真っ赤にして棒立ちしているエリーゼに向かって、アスランはが不思議そうに尋ねた。
薔薇の名前がウエディングドレスという事をごまかしているエリーゼは、その声を聞いて大分落ち着いてきた。自分があんまり赤面して慌てていると、アスランだって困るのだ。
(お養父さまったら、もしかしたら……? どうしよう。アスランさまはそんなつもりないに決まってるのに)
ようやく養父母の魂胆に気がついて、エリーゼは僅かな苛立ちを覚えた。
いくらなんでも、まだろくに話した事もないのに、何を考えているのだろう。だが、薄々感づいている事はあるのだ。ハインツだって、歴戦の騎士であり侯爵、自分の縁談の事を気にしているのだと……。政治感覚がまるでない騎士で侯爵などいる訳がない。
薔薇の庭にこの花が咲いている事を、ハインツだって知っている。そっちの方に、二人だけで行くように仕向けたのは、そのためだ。ハインツは、自分の家に英雄か、名うての武将をを入れたいのだ……。
(お養母さまもそのことは気にしてらっしゃるけど、いくらなんでも気が早すぎよ。まだ何にも話した事だってないのに。アスランさまにだって失礼じゃないの)
現代日本の感覚では15歳は中学から高校、今すぐ結婚などと考える娘はほとんどいない。
だが、バハムートでは、18歳で結婚して子どもがいることはそんなに珍しくないのである。
「あ、あの……すみません。私、話すのは……そんなの得意じゃなくって」
養父母の思惑がわかってくるといよいよ緊張してきて、真っ赤になりながらエリーゼはやっとそう言った。
アスランは、目を瞬いた。
「そんなことはない。薔薇の説明、よくできている。俺も知らない事があった」
(それは私が”カメラ”使えるからで……えーっと……)
まさかそんな話をするわけにはいかない。クラウスとの約束があるからだ。
それでエリーゼは、また、日本人らしく曖昧に笑ったが、アスランはごまかされず、じっとエリーゼを見つめていた。
アスランの蒼い双眸に魅入られてしまいそうで、エリーゼはわずかに一歩後ずさりをした。どうしても、アスランの視線から逃げてしまいたくなる。
「エリーゼ」
逃げそうになっているエリーゼに、アスランはまともな面持ちで言った。
「一日の時の事は、本当にありがとう。エリーゼのおかげで、俺は命が助かった。俺が、あのときもっとよく気がついていればよかったが……エリーゼ。毎日、大変じゃないか?」
アスランは、エリーゼの戸惑っている様子を、疲労のせいではないかと思ったらしい。彼も大人なので、エリーゼが連日、弾正台に呼ばれている事ぐらい想像が出来るだろう。
質問攻めで、ぐったりしているところに、いきなり現れたのではないかと、気にしたらしい。
「いえ、そんなことありません。……それに私、当然のことをしただけです。それよりも、アスランさまの方こそ……あれから何も……ありませんか?」
「俺なら大丈夫だ。エリーゼが気にするようなことじゃない。それより、大騒ぎになっていないか? エリーゼは勇気も行動力もあるから、大丈夫だとは思うが」
「そんなに……誉めないでください」
エリーゼは、自分が幽霊少女と陰口をたたかれている事を知っている。その自分が、英雄と呼ばれるアスランの方から、勇気だの行動力だのと言われたら、信じられなくて逆に悲しくなる。
「私、人が殺されると聞いて、ただ走っただけです……。私なんて、たいしたことのない、何にも出来ない、貧相な子供ですから……」
ぼそぼそと途切れ途切れにエリーゼはそう話した。
それが、アスランにどういうふうに聞こえたかはわからなかった。
「そうだな。誰だって、人が殺されると思ったら、勇気を出す。それは間違いのないことだ」
アスランは、重々しくうなずいた。
「だが、エリーゼ。自分の事を、たいした事がないと思うのは、間違っている。たいした事がない人間なんていない」
エリーゼはびっくりして、思わず顔を上げた。
確かに、エリーゼは、特殊能力を持っている。今では、自分以外、誰も知らない能力だけど。
その力があるから、エリーゼは、余計に人と隔たりを作っていた。世の中悪人だっているんだから、自分を悪用されないように、黙ってなさいと。……カメラ能力の事を知られたくなくて、慎重に振る舞ううちに、いつの間にか、人と話す事さえおっくうになっていたといえる。
だが、もちろん、アスランはカメラの力の事を知っている訳ではない。
それでも、本当に、冴えない陰気な15歳の女の子にそんなことを言う。
「お、お世辞でも……嬉しいです」
当然、エリーゼはそういうふうに受け取って、控えめにそう告げた。
「お世辞じゃない。人間は誰しも、特別な存在だ。戦場に出ていれば、それがわかる。本当に、たいした事がなかったり、”使えない”人間なんていない。……エリーゼは、知らないかもしれないが」
そこでアスランははっと気がついたような顔になり、話し込むのをやめて、エリーゼの肩に触れてきた。エリーゼは飛び上がりそうになったが、必死にこらえた。触られるのが嫌なのではない、羞恥で死にたくなるほどなのだ。
「俺は、まずい事を言ったか?」
そう聞かれて、エリーゼは慌てた。恐らく、戦場でなくなったハルデンブルク伯爵の事を言いたいのだろう。エリーゼが実の両親の死を思い出したのではないかと……。
アスランはアスランで、か細く小さな、悲運の娘を自分がどう扱っていいか困っていた。……自分のせいで大変な騒動に巻き込まれて、気苦労と疲労があるだろうと、気になった。
「い、いえ、違いますっ」
うわずって跳ね上がった声でエリーゼは返した。
「エリーゼは気丈で、勇気のある娘だ。そのことに自信を持っていい。……もっと自分に自信をもっていいんだ。自信があると、何もかも違うぞ」
「え……」
何でそんなことを言われたんだろうと、エリーゼは考えて、ふと自分の容姿を思い出した。
鏡の中に移る自分は、いつも、色素が薄くて顔色が悪くて体も細くて、幽霊の人形を思わせる。その自分の事を、可愛いと褒める人もいるけれど、アスランの目にはどう見えるだろう。
アスランは、幽霊のような女の子に、勇気があるとか自信を持てとか、そういうことを、平気で言う人なのだろう。まして、自分はそんな容姿で、人と話すのが下手とか言ってしまったのだし。
(優しい人なんだな……言うべきははっきり言うし……。嫌な男だったら、もっとずけずけと、無自覚に傷つける事言うんだろうけど……この人は、決めつけるようで決めつけないし、褒めるところは褒めてくれるし)
同時に、大人の異性に対する隔たりを感じた。優しい事はわかるけど、考えている事はよくわからない。
「エリーゼは春から、シュルナウ帝国学院に通うのか。侯爵から聞いたが」
「あ、はい」
コミュ障らしい小さい声で「あ、はい」と言う。そこで会話が途切れそうになったので、慌てて次の言葉を探して、なんとか言ってみる。
「四月からなんです。シュルナウは初めてなんですけど……帝国学院の高等部に編入するんです。そ、その前は……デレリンの貴族学院で……」
「そうか。高等部で、いい友達がたくさん出来るといいな。そうすれば、話すのも上手になる。特に、女の子には話し上手の聞き上手が多い。きっと大丈夫だ」
か細い声で照れくさそうに自分の事を話すエリーゼ。
それをアスランは受け止めて、そう言ってくれた。
「は、はい……」
そんなことを言ってもらえればやっぱり嬉しい。英雄が励ましてくれているんだと思う。そう考えると、希望が持てる。
どうせ、明日もあさっても、代わり映えしない、灰色の一日が過ぎるのだと、そう思い込んでいたけれど。
(帝国学院で、何かいいことがあるといいな……)
やっと、そう思う事が出来た。
それは、前世の記憶を取り戻してから初めてのことだったかもしれない。
そして、前世においては、友原製薬の会社名をエゴサーチしてから、初めての事だったかもしれなかった。
長い長い、憂鬱な時代は、やっと終わりを告げ始めた。