今、ここに生きる星-転生したら養女モブ!-
第一章 幽霊少女は英雄を救う
第二十四話 道具の思い出
アンハルト侯爵邸の薔薇の庭を、ハインツとラーエルは三階の廊下の窓から見ている。
アスランとエリーゼが、何事か話しているのは、魔法を使えば聞こえるが、流石にそこまで行儀の悪い事は出来ない。
やがて、アスランとエリーゼが連れ立って、邸宅の正面玄関の方に歩き出すのを見守って、ラーエルがハインツを振り返った。
「あなた、うまくいくと思います?」
ハインツは、まだ若々しく美しい妻を振り返って、軽く肩をあげてみせた。
「わからん。だが、エリーゼは聡い子だ。色々気づいた事もあるだろう」
「うまくいってくれないと、私が困ります」
冷静さを失わないハインツの言葉に不満げに、ラーエルが言った。
「さあな」
ハインツは窓辺から離れ、階段を降りようとした。なだらかなカーブの階段を二段降りて、ラーエルを振り返る。
「ラーエル、私はアスランと話す事があるから、客間に私と彼の分の茶を用意してくれ。まだ、キルシュトルテがあったな? それと一緒に」
「はい、あなた」
ラーエルは優雅に微笑んだ。彼女はココアやチョコをたっぷり使った桜桃酒のケーキを作る達人である。そっけないふりをして、ハインツはやはり、アスランとエリーゼの縁組みの事を今から意識しているらしい。養女とはいえ、アンハルトの跡継ぎを産むであろう、エリーゼの縁組みには今から頭が痛いのかもしれない。
今度、エリーゼが部屋から出てきたら、お菓子作りの基本を仕込もうと心に決めたラーエルであった。
十分後。
アンハルト邸の客間のソファに、アスランが座り、テーブルを挟んで手前にハインツが座っていた。
そこに、ことさらに淑やかな仕草にこだわったラーエルが、メイドではなく自ら、キルシュトルテと熱いコーヒーの盆を運んできて、静かにテーブルの上に置いた。
「ありがとうございます」
礼を述べたアスランに向かい、ラーエルは上品な笑みを振りまいて、そっとその場を離れた。ハインツはしばらく、無言だった。ラーエルが、ドアの外で立ち聞きしているかもしれないと思ったのである。
「どうしました?」
アスランに尋ねられ、ハインツは首を左右に振った。
「いや、何でもない。ところでジグマリンゲン卿、最近、変わった事はありましたか?」
貴族同士の曲がりくねった会話ではなく、単刀直入にハインツが言ったので、アスランは目を瞬いた。ここは確かに、弾正忠であるハインツの自宅同然の別邸だが、そんなに無防備な会話をしていいのだろうか?
ハインツは軽く手を振って見せた。
「大丈夫だ。防音の風魔法を入れてある。今、ここでの会話を聞き取れる者はいません」
--俺の女房以外はな、とハインツは胸の中で付け加えた。
魔法を解除する魔法の呪文を、ハインツとラーエルは共有している。つまりラーエルだけは、聞き取る可能性があるということだ。
「なるほど。……今の所は……」
アスランは、ハインツに、自分の身の回りに異変はないことや、諜者を放っているが手応えが未だないことを、簡単に述べた。
ハインツは、アスランがどこまで本当の事を言っているのか考えながら聞いていた。
彼の暗殺未遂における捜査本部の部長であるハインツに、隠し事をしても有利になることはそんなにない。だが、彼も大貴族の嫡男格ではあるのだから、自衛のために言えない事はあるはずだ。
実際、ハインツは、ここしばらく別邸に帰る事も出来ないほど多忙を極めていたが、このタイミングでのアスランの訪問は嬉しかった。捜査本部以外のところでアスランと直に話し合いたいことが結構あったのである。そのため、ラーエルからアスラン訪問の連絡をジェムで受け取った時、仕事を速攻で切り上げて、アンハルト邸に機動馬を走らせたのだ。すると、ちょうど門の前で機動馬を止めているアスランとばったり出くわした。
それで二人は一緒に邸内に入り、ラーエルの案内でエリーゼの部屋に向かったという訳である。ハインツはとにかく、捜査本部を抜けてきているので一分でも時間が惜しかったのだ。そして、引きこもりで鈍感なエリーゼに、”これは良縁である”事を教えるために薔薇の庭に出して、ハインツから見ればプチデートをさせ、後は早速、アスランと、暗殺未遂事件についての話--即ち仕事の話である。
弾正忠は、神聖バハムート帝国においては、警視監レベルの権限を持っている。現在、その弾正忠のハインツは若い時に士官学校で監察コースを取って優秀な成績を収め、そのまま弾正台に入った生え抜きである。
だからこそ、今回の暗殺未遂の事件も、弾正尹から任されているようなものだ。
「弾正台の方では、何かつかめてますか?」
「とかげのしっぽきりです」
ハインツは、コーヒーのカップを指先で忙しなくいじりながら言った。
「すると?」
「大体、目測の方に諜者を飛ばすと、消えます。もしくは浮かばれない形で出てくるんです」
「……浮かばれない」
それではどうにもならないだろう。言葉のイメージからアスランは、内容を掴んだ。弾正台の方も有能な官吏も魔道士もそろっているはずだ。その「浮かばれない死体」から痕跡をたどって手がかりを掴もうとしているのだろうが、思った通りにはかどらないということか。
「まだ時間がかかりそうですか?」
時間がかかる間は、アスランも諜者だけではなく、様々な駒を動かさなければならないし、自分と、係累のために手間と金をかけなければならない。そのため素直にそう振ってみた。
「かかるでしょう。尤も、手早くすませる方法もあるにはあるが……」
「それは、なんです?」
「”過去視"を使うという手があります」
「!」
アスランは驚いた。
過去視--聞いた事がある。
アデルトラウト城に使える宮廷魔術師の中には、過去、もしくは未来における全ての出来事を暴ける能力者がいると。
未来に対する予知については、アスランも詳細は知らない。だが、過去においては、モノに触れる事でモノの歴史を全てのぞくというものだ。例えば今、アスランが座っているソファや、目の前の机、コーヒーカップなどに触る事により、その物品の記憶とも呼べる歴史を全て読み取る。過去視は、生物やその死体からは情報を取れない。無生物の情報を知るのである。少なくともこのアストライアにおいては、モノにも、意識はあるのだ。
そうなると、この場合は、……魔道士は、ジャン・マイヤーのいた監獄の中の床や椅子などから情報を盗む事になるだろう。そうすると、その監獄の中の歴史……監獄に、いつ、誰がいて、何をして、誰と話したかなど、全て、その過去視の魔道士が読んでしまうということになる。帝城の、弾正台の、監獄の、一部屋の歴史まるごと全部。
「アデルトラウト城に頼み込めば貸してくれるのではないかという話ですが、弾正台の中からは反発の声もあって……」
「それは最終手段にしましょう」
暗殺未遂を受けた本人だが、アスランの方からそう言った。
無論、自分が、国家の要人であることはわかっているし、暗殺者は一刻も早く突き止めてシバき倒さなければならないことはわかっている。だが、自分一人のために、そんなリスクを、ハインツ達に負わせようとは思わなかった。
「アデルトラウト城がそんな異例の魔道士を使わせてくれるということは……大がかりな捜査を表だっては出来ないということですね」
アスランは、はっきりした言葉使いでも、それなりに丁寧にぼかしてハインツに探りを入れてみた。
ハインツは、一瞬、目を泳がせた。
そしてアスランの方にラーエルのキルシュトルテをすすめた。
「女房が得意でね……」
「ありがたく」
「皇后陛下が、地獣人の呪術について研究中であらせられるが、それに従って、今まで禁術レベルで封じられてきた魔法や呪術の関係も前より活発に使えるようになってきているんですよ。何しろ皇后陛下は御自ら、魔大戦で帝都をお守りになったほどのお方ですから」
「……」
アスランは、それが、ハインツの回答だとよく理解した。
エンヘジャルガル皇后が危ない。その先の皇后、アルタンツェツグ皇后は、呪詛で殺されたという話で有名だ。呪詛は、なかなか証拠を残さない。……だからこそ使われる暗殺術である。
遠回しにハインツはそれを言ったのだ。
そして、アルタンツェツグ、エンヘジャルガル皇后にとって命を脅かされる仇敵と言えば……。
皇后の実家。
弾正台もそこに的を絞って、捜査中であるらしい。ここ二代は続けて逃しているが、皇后の座を射止め、外戚政治で肥え太ってきた宗家が、そう簡単に尻尾を出してくれるはずがない。
「わかりました。……このトルテ、大変美味です」
キルシュトルテをフォークで一口食べて、アスランはそう評した。実際そうであったし、何はともあれうまいと言って喰っておかなければならない話であった。