今、ここに生きる星-転生したら養女モブ!-
第一章 幽霊少女は英雄を救う
第八話 美夜館
帝都シュルナウの東にある苹果林、そのほぼ中心にあるのが、現在アスランの住んでいるジグマリンゲン邸である。
神聖バハムート北方において王者とも呼ばれるジグマリンゲン一族。その宗家の次男がアスランであることは、意外に知らない者も多い。シュルナウでは、貴族でも、アスランが長男で次期当主だと思い込み、いい意味でも悪い意味でも接触を持ちたがるのだ。
アスランの方は、相手が完全に勘違いしていた場合は訂正するようにしている。
ジグマリンゲンの宗家の長男として生まれ、嫡子となったのは、彼の兄レナートスである。
ジグマリンゲン邸は、シュルナウでは珍しい黒煉瓦作りの巨大な館で、外装にも北方の軍神の紋章を彫り上げた壮麗な美観を誇っている。
敷地は苹果林の中でも一、二を争う広さで、中心となる屋敷の他にいくつかの家屋が連なっている。
だが、勿論、その日アスランが、帝城から直帰したのは、城門からまっすぐ突っ切った先の、黒煉瓦の館……通称美夜館であった。
美しい夜の名にふさわしい、黒く輝くような城館の中に、正面玄関から入っていくアスランを出迎えたのは、執事のハンス・ホフマンであった。既に白髪の目立つ年齢の彼は、礼儀正しく平常心を感じさせる仕草で、主人を出迎えた。
「戻った。--報告は来ているか?」
玄関ホールで厚手のコートを脱ぐのもそこそこに、アスランが老執事に尋ねる。
「は、犯罪者の縁者を頼りましたが、まだ報告ははかばかしくありません。夜半には、隊長が戻るはずですが、今、お呼びになりますか?」
「まだ、ない?」
アスランは秀麗な眉をひそめた。
ホフマンは頷きながら、アスランがコートを脱ぐの背後に回って手伝った。
ジグマリンゲン一族にも、忍びの技を巧みとする者はいる。
アスランは、帝城で襲撃を受けた直後に、その諜者達を全員動かしていた。
北方から連れてきた諜者達は、皆、次男の彼に忠誠を使っている者達ばかりであるから忠実によく動く。にも関わらず、この時間になっても自分を毒殺しようとした首魁をあげられない……。
厨房長が現在、警察機構も兼ねる弾正台の人間に、取り調べを受けている段階だ。
英雄暗殺の取り調べや捜査に、手抜きがあるわけがないが、任せきりにする訳もない。 厨房長は弾正台で色々な意味で厳重に扱われているだろう。--その様子も、逐一、美夜館、もしくはアスラン本人に把握出来るようにしておいたのだが。
「ビンデバルドの動きは把握出来ているか?」
コートを受け取るホフマンに、抑えた低めの声でアスランは問いかけた。城館の中には厳選された味方しかいないはずだが、もしもということがある。
「つかめません」
ホフマンの方を振り返ると、彼は常と変わらぬ慇懃なポーカーフェイスだったが、アスランはその声の語尾に、かすかに残念そうなため息を感じ取っていた。
「つかめない? つかませろ」
アスランは即答した。
その答えは予測の範囲内だったのだろう。
「ヴェーバー!」
ホフマンが、張りのある声でその名を呼んだ。
気がつくと、ホフマンの背後に知らない間の一人の男が立っていた。
美夜館に勤める男なら誰でも切るようなかっちりしたスーツをまとい、金茶色の頭を下げて顔を伏せている。
ヘルムート・ヴェーバー--あまりにも普通すぎる仮の名で働く彼は、気配を自由自在に操りながら、地味で目立たない館の使用人の風体で現れた。
「ヴェーバー。進捗を報告しなさい」
ホフマンに命じられ、彼は、またアスランに対して一礼すると、はっきりした声で話し始めた。
「現在、ビンデバルド宗家を含み関連各所に、我々の仲間を飛ばしてみましたが、いずれも今回の事件に強い関与を示している者はいません。会場内にもビンデバルド一族の人間は多くいましたが、いずれも、厨房、厨房長に近づいた様子のある者は、現時点で報告に上がらず。ビンデバルドに限定せず、現在、厨房長の縁者を中心に調査を進めております」
「……わかった。確実に主犯を突き止めろ」
アスランがそう告げると、ヴェーバーは深く頭を下げた後、そのまま、登場した時のように忽然と立ち去った。本当に、まるで空気に溶け込むように、瞬きしている間に彼の姿は消えてしまったのだった。
--ジグマリンゲンの諜者にはよくあることである。アスランはそれを気にとめる事もしなかった。
「どういたしますか?」
険しい面持ちで虚空を睨んでいる若い主君に対して、ホフマンは控えめに今後の対策を尋ねた。
「どうもこうもない。主犯が確定出来ないうちに、先走ってはこちらが舐められる」
アスランは、そう言い捨てると、二階の自室へ向かうホール前の階段の方へ歩いて行った。
「お食事は?」
ホフマンは、何を考えているかわからない若い主君に対して、探りを入れるようにそう言った。
「城で喰ってきた。後で、部屋に酒を頼む」
「は」
ホフマンは深追いはせずに引き下がった。
(ビンデバルドだと思いたいが……もしもレニだったら……)
アスランの心境は、複雑だった。無論、正体不明の相手に暗殺されかかっていて、心中、単純明快明朗活発という人間もいないだろうが。
神聖バハムート帝国、帝都シュルナウ、弾正台--。
帝国における弾正台とは、皇帝直轄の監察・警察機構である。
司法を司り、裁判所や監獄の役割は刑部省にあるが、それ以外の犯罪捜査や治安維持を勤めるのは弾正台の役割だ。
とにかく、新年の祝賀会において、魔大戦の英雄暗殺という大胆すぎる犯行があったのだから、弾正台の動きも一気に活性化した。
五年も続いた魔大戦のために帝都の治安も混乱している。
便乗して凶悪犯罪が連鎖する事を防ぐためにも、アスラン暗殺の捜査と早期解決は必須だった。
そして今回。
弾正台がアスラン暗殺計画の捜査本部に任命したのは、誰あろう。
エリーゼの父親、ハインツであった。
ハインツ・フォン・アンハルト。
彼はデレリンの地方貴族で騎士であるが、そもそもアンハルト家は、神聖バハムート北方のウィンターシュピーゲル地方において弾正忠を代々勤める家柄だったのである。
「エリーゼのためか……」
シュルナウにアンハルト邸に帰るや否や、極秘と言い含められながら、帝城にとって返すはめになったハインツは、城内にある弾正台に向かう馬車に乗りながら、無表情のまま胸の内で不安をかみ殺していた。
祝賀会で、いきなりエリーゼが突っ走り、アスラン暗殺を阻止したのだが、そもそも何故養女が、厨房の辺りをうろついたり、様々な突飛な行動を取ったのか、それが問題なのだろう。もちろん、ハインツも十分に帝城で周囲の貴族や役人に説明してきた。
養女は巻き込まれただけなのだと。
それならばなおさら、亡くなった戦友クラウスの忘れ形見を守るためにも、養父が捜査に当たった方がよい--と、弾正尹が判断したと思われる。
それとは別に、養女が何らかの形で、アスラン暗殺に関与していると疑われているのかもしれない。ハインツはそれはないと言い切りたい。だが、弾正尹は、半信半疑だが、恐らくエリーゼの事も疑っているのだ。
ならば、養女に濡れ衣や汚名をひっかぶせるつもりはない。二つ返事とは言いがたいが、ハインツは暗殺事件の犯罪捜査を引き受けた。
貴族社会の陰謀の泥沼では、こうした腹の探り合いはよくある。
本来なら、祝賀会を終えたら、デレリンの地方領主としてすぐに帰路につかなくてはならなかったのだが、ハインツはこうして、事件解決まで、愛妻ラーエルとともに、帝都シュルナウでアスラン暗殺捜査本部の部長として居座る事になったのであった。
ゲルトルートには帝城へ向かう馬車に乗る前に、簡単な概略を耳打ちしてきたが、エリーゼにはまだ話していない。引きこもりの繊細な養女には刺激が強すぎる話だし、まだ血の繋がらない親子達には、そこまでの信頼関係は築けていなかった。
弾正台の庁舎は帝城の中にある。
既に暗闇に包まれた冬の帝城の、磨かれた建物の中を、ハインツは足早に移動した。
まずは弾正尹に挨拶をして、捜査任務を拝命する手続きを取る。その後、弾正尹から直接もう一度、厨房長ジャン・マイヤーの身辺に関する調査書に目を通すように言われ、暗殺未遂が起きた時点での関係者の行動についての確認をした。
ジャン・マイヤーは44歳。独身。
体格のいい男で、料理の他にも腕っ節はよかったらしい。無論、専門の兵士としての教育はまるで受けていないのだが。
帝都シュルナウでも有名な老舗の料理店の五男として生まれ、子どもの頃から料理のセンスには恵まれて、そこだけ言うなら他の兄弟の中では最も優秀だった。だが、生まれつき性格は短気で乱暴者、思慮にかけ、行儀作法も覚える気がない。
そのため苦慮した父親が、人間らしいまっとうな行儀と常識を教えるために、十代の半ばを過ぎた頃、城の厨房に勤めに出したのである。最初の頃は大人しくしていたが、実力が認められるにつれてやはり乱暴な言動が増えて、トラブルが耐えなかった。
だが、腕はいい。確かに料理は出来るし、仕事を覚えるのは早かったために首になる事だけは免れた。また、自分よりも腕っ節が強い相手には食ってかかる事はなかったという。
その傾向は20代、30代になっても続き、そのうち、腕っ節が強い相手だけではなく、立場が上だったり権力者だったりする相手の前では借りてきた猫のように大人しくするようになったので、自然とトラブルも消え、元々、料理のセンスと腕だけはしっかりしていたので、ほんの三年前、彼は帝城の厨房長という名誉職に就いたのであった。その後は得意満面で、他と摩擦を起こすようなことはなかったというが……それらはもう一度確認を取って回らなければならないかもしれない。
そうしたことがはっきり細かく書いてある調書を読みながら、ハインツは、従者を伴いつつ、弾正台の庁舎の中にある取調室に向かった。
薄暗い取調室の中のドアを開けると、そこには、机の前にうなだれて座るジャン・マイヤーと、監視と護衛の役人だけがいた。
ハインツはつかつかと歩み寄って机の手前に座った。
「ジャン・マイヤーか」
「……はい」
ごまかしようがないと思ったのだろう。下を向いて目をそらしながら、体格のいい男は答える。
「年は44歳。妻子はいない。シュルナウの南大門通りの実家に、家族がいる。既に代替わりしていて長男が家と店を継いでいる。間違いないな」
「……はい」
ジャンは、そわそわと視線を動かしている。だが、体格に似ず頼りなさそうな声でそう言った。
「何故、厨房長の立場にありながら、英雄への食事に毒を盛った?」
「……」
「返事をしろ」
「知りません」
「知らない?」
「知りません。……俺は何も知りません。何かの間違いです」
「何の間違いだと言うんだ」
ハインツは呆れた。
そういう話になる。
知らぬ存ぜぬで押し切ろうという訳だ。さすがに、子どもの頃から「思慮に欠けている男」……。だが、彼は、自分より強い者には刃向かわないという従来の性質を持っている。そこをつけば、自白させるのは早いだろう。
そう読んだハインツはいくらか柔らかな声を出してみる事にした。
「この部屋は少し寒いな……ああ、暖房をかけてくれ」
さりげなく、ハインツは従者の役人の方にそう声をかけた。従者は黙って、暖房設備の方に向かった。
「雪が降っていたな」
「はい」
「帰るなら気をつけて帰るんだぞ。脱輪に気をつけてな」
「はい。ありがとうございます」
従者の役人は、ハインツに微笑みかけて返事をした。
そのとき、マイヤーはかすかなため息をついた。役人達は、この部屋を出て家に帰られるのだ。計算していたハインツはそれを見逃さなかった。
「この正月は酷い雪だ……俺はウィンターシュピーゲルの出で、この程度の雪では、雪が降ったとも言えないぐらいだが、帝都の連中はすぐに雪だ雪だと騒ぐようだな」
ハインツはマイヤーの方に向き直った。
「この寒さだ。お前の実家じゃどうしているだろうな?」
「……」
「去年の正月には、実家に帰ったのか?」
これまたよくある手口である。里心を呼んで、人間らしい温かい感情、そちらの方から訴えかける。
ちらちらと視線を動かし、ハインツの顔色をうかがうマイヤー。寒いはずなのに、額に汗が滲んでいる。
ハインツは、意外と落ちるのは早いかもしれないと期待しながら、少しずつ、将棋の駒をすすめるように、質問を重ねていった。